人生を変えたければ、自分が思う「いいもの」を自覚するべし

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自分がどのようなモノ・コトを「いいもの」と認識しているのかを、あらためて自覚することは、人生にとって非常に大事なことである。

なぜなら、自らの生き方を定義すること、人生の指標を再認識することにつながるからだ。その結果、意思決定のブレも少なくなるだろう。

言うまでもなく、人生は意思決定の連続である。人間は習慣の動物であると言われているように、日々の判断と、それにともなう習慣こそ、その人を形づくる唯一の糧となる。

何時に起きて、何を食べ、どんな行動をし、誰と交流するか。その繰り返しが、ひとりの人間をつくる。人生は、その積み重ねでしかない。

もし、才能というものがあるのだとしたら、あくまでも、その習慣によって蓄積されるものの“土台”でしかないだろう。その証拠に、才能だけで何かを成し遂げる人は皆無だ。

そして、自らが行うべき習慣のヒントとなるもの。それは、自分が思う「いいもの」に他ならない。それは、価値観であり、志向であり、人生の原点である。

■自分が思う「いいもの」から遠ざかる惰性の日々

自分にとってのいいものを知らないまま生きていると、つい、日々が惰性になる。手近にある快楽に溺れてしまうこともあるかもしれない。事実、かつての私がそうだった。

酒、女、ギャンブル。そのような、人間の根源的欲求に根ざしたものだけでなく、私たちのまわりには常に、快楽があふれている。

そしてその多くは、企業(とくに大企業)や既得権益が繁栄するためのマーケティングと連動していたりする。そのことに無自覚なのは、罪ではない。相手が巧みすぎるのだ。

たとえば食事。オーストラリアのドキュメンタリー映画『あまくない砂糖の話』でも描かれているように、私たちの生活は実に、砂糖漬けのジャンクフードに侵されている。

マスメディアに洗脳され、食品そのものの快楽物質に毒され、わけも分からないまま今度は医療の大海原を右往左往する。気づいたときには、自らの声も聞こえなくなっている。

幼い頃は聞こえていた自分自身の声。内側から語りかける「これが好きなんだ!」「これがしたいんだ!」という声が、年齢とともに遠くなり、日々が虚無になっていくのだ。

■「いいもの」に携わるという幸せ

一方で、自分が心からいいと思うものに向かっているとき、人は幸せになる。多少の困難にもめげずに突き進むことができる。日々が充実し、活力がみなぎっていく。

あらゆる人が、自らの定義する幸せに向かっているとするならば。心からいいと思うものを自覚することは、向かうべき方向を定義し、人生をより良いものにしてくれるだろう。

だからこそ、あらためて、自分自身のいいものを再確認することが大切だ。そしてそれは、ことあるごとに、再確認しなければならない性質のものである。

少なくとも、キャリア研究の第一人者である金井壽宏教授が言うところの“節目”においては、自らが思ういいものを、あらためて確認したほうがいいだろう。

とくに、「人生に張り合いがない」と感じる人はなおさらだ。それは、自分にとってのいいものが分からないか、あるいは分かっていても、その方向に進めていない証拠である。

■自分が思う「いいもの」の具体例

では、私自身は何をいいものと考えているのだろうか。たとえば、私が携わっている仕事、「書籍」で考えてみよう。

まず、私が思ういい本の条件をざっくばらんに挙げてみる。次の通りだ。

・適切な問題提起がある
・関連する過去の文献(研究)を、可能な限り踏まえている
・結論を導くための、必要な根拠をすべて提示している
・わかりやすい(特定の人にしか理解できないものではない)
・構成が論理的である
・一定の時間をかけて書かれて(編集されて)いる
・個人的な意見や経験だけに終始していない
・賛否両論が得られている
・人の行動を促す(人を動かす)
・人の人生を変える(思想に影響を与える)

念のため、一般的に言われているいい本の定義もピックアップしておこう。

・売れる(売れた)本
・多くの人に読まれている本
・評価が高い本

こうした項目を定期的にピックアップしつつ、ブラッシュアップしていけば、自分が思ういいものにアプローチしやすくなる。また、対象との距離もつかみやすくなるだろう。

■実りある人生をおくりたければ、自らの「いいもの」に自覚的であれ

自分にとってのいいものは、そう簡単に見つかるものではない。見つからないというよりは、たとえ見つかっていたとしても、腹落ちするのに時間がかかる。

とくに大人の場合はそうだろう。心ではなく頭で考える習慣が身についているためだ。いっそ、バカになったほうがいい。バカになって、飛び込んでみること。

飛び込んでみると、何がいいのかが見えてくる。当然、何が悪いのかも分かってくるだろう。分からなければ、ひたすら、心の声に耳を傾ければいい。

まずは、心をニュートラルにしてみることだ。固定観念や社会常識など関係ない。自分にとっていいもの。子どもの心で、そこだけにフォーカスする。

そして、自分にとってのいいものが見えてきたら、照準をあわせていく。つまり、対象への距離を測り、生活そのものを少しずつ変えていくのだ。

自分が思ういいものに携わるために、やるべきことは何か。必要なものは何か。そこから規定されるものこそ、本人にとっての最適な習慣であり、より良い“生”そのものである。

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