「楽しいことを仕事にする」は正しいのか?

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「楽しいことを仕事にするべき」「好きなことで暮らしていこう」。

 インターネットが普及したことによって、私たちの暮らしは大きく変わりました。とくに大きく変わったのは「情報の主役が企業・団体から個人へと移行したこと」です。その結果、情報の収集も発信も、個人単位で行えるようになりました。

 情報化社会である現代において、情報の収集・発信を担える者は強者です。なぜなら情報をコントロールすることによって、消費、販売、行動、収入、趣味、学術など、あらゆるシーンで評価を得られたり、それが未来につながったりするためです。

 少し乱暴な論理かもしれませんが、多くの人が、情報のインプット・アウトプットを自由自在に行っている人ほど、現代において“好き勝手している”のは事実でしょう。そしてそれが、情報化社会の特徴であるとも言えるのです。

 では、情報をコントロールすることによって、これまでできなかった生活を実現できるようになった場合、私たちは何を望むでしょうか。おそらく、「嫌なことを避ける」「好きなことをやって暮らしていく」ということではないでしょうか。

 いくら日本人が忍耐強い傾向があったとしても、我慢し続ける人生は辛いです。辛さだけでは生きて行けず、かと言ってその辛さ(ストレス)をごまかしながら生きていくと、どこかで精神的にも肉体的にも無理が出てしまいます。

 ただ、それも生活のためなら仕方ないとあきらめてきたのがインターネット普及前であったとすれば、これからは、そのような我慢と解消(ごまかし)をくり返すことなく、より良い生き方を模索しようとするのは当然ではないでしょうか。

 そのときに考えるのが、辛いことを我慢するのではなく、「楽しいことをしていく」という発想です。好きなこと、楽しいことをしていれば、嫌なことを我慢し続ける必要がなくなる。そのような考え方は、まさに現代的な思考と言えるかと思います。

■「楽しいこと」とは何か

 では、その場合の「楽しいこと」とは、具体的にどのような事柄を示しているのでしょうか。重要なのは、「楽しいこと」の前に「自分にとって」という枕詞がつくことです。そう、楽しいことは「自分にとって」楽しいことであるべきです。

 他人にとって楽しいことが、自分にとっても楽しいとは限りません。むしろ、「何であんなものを楽しめるのか?」と思うこともあるほど、人によって好みは千差万別です。好みが違うということは、楽しめることも違うということにほかなりません。

 考えてみると、これまで仕事で成果をあげてきた人とというのは、「その仕事が好きだった人」「自分の仕事が好みに合っていた人」だったのかもしれません。それなら、四六時中でも仕事のことを考えていられますし、休みだって返上できるでしょう。

 ただ、その仕事が好きでない人からすると、「早く終わらないかな」「帰って好きなことをしたい」という気持ちがもたげてくるのは当然であり、仕事は生活の糧、それ以外に人生の糧があると考えながら、日々、生きていくことになります。

 そのような人が、「なんであいつは仕事ばかりしているんだ?」と思うのも無理はないでしょう。「きっと自分とは違うんだな」と無理に納得しようとするのも当然です。精神衛生上、そのような断定をしなければ、自分の思考と行為を正当化できないためです。

 ただし不満は募ります。なぜなら仕事が好きで誰よりも働ける人は、会社から評価され、役職もあがり、給料もあがり、さらには社会的な地位や評判も得られるためです。そこから進んで、次の新しいステージに立つこともあるでしょう。

 いずれにしても、「楽しいかどうか」という土台が、その後の人生を左右していくことになる。しかもそれは、金や地位や名誉など、生きていくうえで無視し難い事柄に紐付いているため、なかなか抜け出そうとしても抜け出せない思いを伴うのです。

■楽しいことを仕事にしていいのか?

 そこで考えられるのが、「自分が楽しいと思うことを仕事にすればいいのではないか」ということです。その仕事を楽しいと思っている人が結果的に活躍しているのであれば、自分が好きなことを仕事にすればいいと思うのは当然です。

 そして現代は、個人が主役の情報化社会であるがうえに、あたかも楽しいことを仕事にできるような環境があります。それならば、好きでないことをしているより、好きなことで暮らしていった方がいいと考えるのも無理はありません。

 そこで問題となるのが、「自分が楽しいと思うことを仕事にしていいのか」ということです。これまで仕事というものは我慢や忍耐を伴うものだと教えられてきて(少なくとも“大人たち”はそうしていた)、まったく真逆の方向性で生きてきてもいいのだろうか。

 なるほど、世の中の風潮としては「楽しいことをやろう」「楽しいことで生きていこう」という空気感がある。ただ、その本質を理解していないままただ楽しいことを追求していけば、いずれ壁にぶつかってしまうでしょう。

 その壁とは、「生活」という名の壁です。私たちは、生活していくためにお金が必要です。あるいはお金の代わりに物資を得てもいいのですが、最低限のお金は依然として必要で、やはりお金を稼ぐ必要に迫られてしまいます。

 そのときに、自分の楽しさとお金のどちらを優先するべきかと悩み、また楽しいと感じる活動がお金を生むまでの時間にも耐えられず、結果的に別の新しい苦しみが生じてくることとなります。そしてそれは、「金か楽しさか」という安易な二元論の元になります。

■あらゆる仕事には“辛さ”がある

 私たちが忘れてはならないのは、どんな仕事(お金を稼ぐこと)にも、一定の辛さがあるということです。人間が自己を大切にする本能を備えている以上、他人に(も)益を与えてこそ得られるお金は、自分の楽しさを調整しなければ得られません。

 つまり、楽しさのみを追求してもお金が得られるとは限らず、ときに自分の楽しさを犠牲にしてでもお金を稼がなければならない。むしろ、多くの場合は後者の方が中心となっており、それを耐えられるだけの動機が必要となります。

 「自分が楽しいと思うことをしているのだから文句を言うな」という人もいますが、それは一方で「やりがい搾取」のような側面も有しているのであり、その背後には強者の論理が潜んでいることも忘れてはなりません。

 そのように考えると、「楽しい」という想いが自分の内側から自然と湧き出てくるものであることに加えて、その楽しさに伴う辛さに耐えられるだけの動機もまた、自分の内側から出てきたものではならないこととなります。

 そうではなく、他人から与えられた「楽しさ」のようなものや、楽しいと思い込まされるような何かがある場合、動機や信念の元がないため、発生する辛さに耐えることができません。耐えていると、そのうち不満が募ってくることでしょう。

 そのとき、「この辛さは必要な辛さだ」と思えるのは、やはり、自分の内側から生じてきた感情があることです。自分にとっての楽しさが、誰かから与えられたものではなく、自分のものだけであるとき、人は辛さを乗り越えられます。

 しかも、無理やり辛さを乗り越えようとするのではなく、あたかも持久走のあとのような爽快感を伴いながら、辛さを“心地よい汗”のような感覚として捉えることができる。そうなると、どのような辛さも乗り越えられるようになるのです。

 それは単純に「楽しい」状態ではなく、辛さを「楽しめる」状態であると言えます。そのような心境に至ってこそ「楽しいことを仕事にする」本当の意義があるのであり、楽しいだけではない妙味があるのではないでしょうか。

■まとめ

・「楽しさ」だけでは不十分。

・どのような仕事にも辛さがある。

・辛さを楽しめる対象が必要。

・「楽しさ」だけでなく「楽しめる」ことを見つけるべし。

 楽しいこと・好きなことは魅力的ですが、その先にある辛さにも目を向けて、乗り越えられる対象を見つけましょう!

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