とりあえず勉強ができればそれだけで評価してもらえる、というのはやっぱり良くない風習で。勘違いしてしまう人間が増えるだけのように思えます。ボクも多少ではありますが、一時期は、調子に乗っていたフシがありました。とくに中学生ごろ。学業の出来不出来なんて、ただの暗記力なんですけどね。
正解のある学業から、正解のないビジネスへ
やっぱり人間、褒められたり賞賛されると図に乗ります。それが勉強のモチベーションにつながることも事実ではありますが、ハッキリ言ってそんなものは、社会に出てからは何の役にも立ちません。むしろ、積み上げられたプライドのようなものが、柔軟な対応を失わせてしまう気がします。
『負けない力』 にも書かれていることですが、“頭がいい”と“知性がある”というには似て非なるものなんですね。前者は「勉強ができる」という意味合いが強く、後者は「自分の頭で物事を考えられる」という違いがある。でも、この違いは社会に出てからは大きいんですよ。だって正解なんて無いんだもん。
起業にたとえるとわかりやすいですね。そこに正解はありません。「素晴らしいアイデアを見つけて、優秀な人とともにチームをつくって、資金を集めて成長していく」。こんな漠然とした答えでは、期末テストに合格できません。素晴らしいアイデアって? 優秀なチームとは? 資金はどのくらい? 成長ってなに?
そこに正解なんてないんですよ。あるのは、「仮説を立てて、行動して、失敗して、検証して、その結果を生かしてまた仮説を構築しなおして、行動して……」というサイクル。そのくり返しによって、成功の精度が高まります。つまり、自分の頭で考え続けなければならないわけです。
でもボクたちは、大学まで出れば実に16年間も正解だけを追い求めてきたわけであって。いざ社会に出てから「いや、正解なんて探したってムダだよ。だってそんなもの無いんだから」と言われても、困惑するだけです。じゃあ、これまでの僕たちの歩みはなんだったのか、と。
仕方がないから、正解が載っていそうなビジネス書を読んだり、セミナーに行ったり、コミュニティに参加したり、先輩に話を聞いたりしながら、なんとか正解を探そうとする。あるいは、どこかの段階で「たぶんこれが正解でしょ。だってみんなやっているもの」と、勝手に納得してしまう。
時代は刻々と変化しているにも関わらず。そしてまた、“正解らしいもの”もつねに変わっている。だから、結局のところ、見つけた“正解らしい”ものなんて何の価値もなくて、自分の頭で考え続けるしかないわけですよ。ボクたちは。16年間からの切り替えに心を痛めたりしながら。