「臭いものに蓋をする」。日本にはそういった文化がある。文化と言っていいのかはわからないが、少なくとも性癖・傾向(思考、行動ともに)としては認めなければなるまい。原発の問題を考えてみてもそうだ。
必要でないことは明らかなのに、それでも完全になくそうとはしない。多くの人は、「いつか、誰かが問題を解決してくれる」と思っている。とりあえず、匂いがしなくなれば日々の細々としたことに意識を向けられるし、それがあたかも幸せかのような錯覚に陥ってしまう。
善かれ悪しかれ。
さて、そうした国民的な背景をふまえて、会社の「倒産」について考えてみたい。ボクが取り組むべきテーマの最有力候補にあがっているものだ。ボクの父はかつて会社を経営していたが、やはり倒産した。
バブル景気が崩壊した1992年ごろだったと思う。当時ボクはまだ小学生で、父親の会社が倒産したことに対して、理解も認識も不十分だった。心のなかで、「大変そうだけど、ボクにはあんまり関係ないや」と考えていたのかもしれない。ある意味ではクールだが、まあ端的にバカだった。
両親は離婚し、自宅には「退去願」の張り紙が貼られた。裁判所から委託された業者の人間が貼ったのだろうか。子どもながらに、気味の悪い張り紙だったことを覚えている。それから、中学時代はアパート暮らし、そして兄は精神病になった。
そういった経緯もあり、父親の会社の倒産によって1次的にも2次的にも被害を被ってきた。また、大学卒業後、新卒で入社した会社も、実質的に倒産した。ダイア建設という会社だったのだが、入社して2年も経たないうちに民事再生したのだ。
そのように、ボクの人生には「倒産」が深く関わっているように思う。これから先、フリーライターとして仕事をしていく中で、多くの会社と付き合いをさせていただいているが、倒産による報酬の未払いなどもあるかもしれない。あるいは自分が「いずれ会社を……」ということを思わなくもない。
だからその前に、倒産に関して自分なりの落とし所をつけておきたいのだ。臭いもの、ある意味では自分の過去もそうなのだが、そうしたものに蓋をせず、蓋を開けてじっくりと中身を吟味してみたい。いや、しなければならない。
これは、これから会社を設立しようと考えている人にも言えることだ。「会社が倒産したらどうなるのか」。また、従業員にも言えることである。自分の会社が倒産しないなど、誰が保証できると言うのだ。
会社が倒産すれば、給料は未払になる可能性があるし、少なくとも職を失うことには変わりない。その時に、「ああ、会社倒産しちゃったよ。ふざけんなよなぁ……」と、言っている場合ではないのだ。家族がいて、教育ローンや住宅ローンを抱えていればなおさらである。
そもそもね、社会的に倒産に対する認識が薄い。それが問題だ。創業や起業を勧めるコンサルタントや団体は、果たして「創業するのは結構ですが、廃業するときにはこれぐらいの金額がかかりますが大丈夫ですか?」と確認しているだろうか?
保険ではないが、自分の墓を立てるだけのお金を用意して死ぬことを考えているか。いや、それは少し違うか。そもそも廃業や倒産は「死」と同義ではなく、単なる「方向転換」でしかないわけだから。「倒産したら終わり」みたいな考え方で起業して、うまくいくわけがない。人生は、倒産してからも続くのだから……。
倒産したら、最低でも弁護士や会計士への費用、そして裁判所への予納金が必要となる(数十万円~数百万円)。入院したら、入院費や治療費がかかるのと同じだ。でもそれは、また元気に生活していくためには必要なお金である。そのための用意をせず、借金ばかりをくり返し、「すいません、治療費も払えないほど貧窮してしまいました……」では困るのだ。
そうした認識を、経営者はもちろん、会社勤めしているすべてのビジネスパーソンは理解しておかなければならない。本来的には。そうすれば、仕事への姿勢も大きく変わるだろう。
起業は博打ではない。当たるか外れるかではないのだ。計画、戦略、マーケティング、そして人脈などの経営資源をフルに活用し、社会に価値を提供しつつ、収益をあげる“反復継続的な”活動なのだ。時流に対応するのは当たり前のことだが、それでも採算がとれないと判断することはあるだろう。
そうしたとき、いかにスムーズに倒産、あるいは廃業の処理ができるかということが、次の挑戦の成功確率を高めるだろう。「会社が潰れて次の仕事が見つからない……」などは、本末転倒である。怪我も病気もまったく無縁な人生などどこにある?
自己責任とはつまりリスクテイクなのだ。会社経営者はサラリーマンより大きく稼ぐことが多いが、それは廃業というリスクをとっているから。その意味では、投資家も似たようなものである。
「いいよなぁ、それだけ稼げて」ではない。リスクを把握し、ときにはピボットし、命あるかぎり社会に価値を提供していく。「勤める」のではなく「働き続ける」。そのためには、倒産に対する理解が不可欠なのだ。
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