近ごろ、「好きなことをして生きる」「好きなことを仕事にする」といった言葉を耳にすることが増えました。仕事とは辛く苦しいものだ、という空気が蔓延してきた日本社会に、パラダイムシフトが起きつつあるようです。
なるほど、好きなことをしていいんだという感覚は、誰にとっても心地よく、また仕事観としても受け入れやすい(受け入れたい)ものだと思います。社会が変わり、仕事のあり方も良い方向に向かっているとすら思えてきます。
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しかし、その言葉を考えれば考えるほど、「ああ、大人というものは……」と首を振らざるを得ません。なぜなら、好きなことをして生きるためには、それなりの“消費”が必要となるからです。
「覚悟があれば」とか、「やる気があれば」とか、「あきらめなければ」などと、好きなことをして生きる方法を模索するのは自由です。それに、死ぬ気になってやれば、それこそ人生を棒に振るつもりで取り組めば、できないことなどない。
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ただ、安易に自分の好きなことに取り組もうとすれば、とくに現代では、どうしたって何らかの支出を伴います。そして、そこにビジネスがある以上、大人の意向が絡んでいることを忘れてはなりません。
たとえば、流行りの「YouTuber(ユーチューバー)」。自分が好きな映像を撮ってYou Tubeにアップし、ファンを拡大していけば、好きなことをして収入を得られると喧伝しています。たしかに、一部の成功者もいるようです。
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一方で、そこに至るまでには多大な支出が必要です。撮影機器を購入したり、セットを用意したり、紹介する商品を購入したり、洋服や化粧なども必要でしょう。それでも、好きなことをして生きるためには必要だと考えて取り組むわけです。
ウブな若者たちにとって、そこでの支出は、夢への投資のようなものかもしれません。しかし、その裏側では、市場をつくっている大人たちの巧みなマーケティングがあることを忘れてはなりません。
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本来、好きなことをして生きるには、まず、自分が本当に好きなものは何なのかと、探求する必要があります。その探求は、意図せずに多量の情報がもたらされる現代において、決して容易なことではありません。
もし、自分が好きだと思っていたものが、他人(大人)からもたらされたものだとしたら、どうなるのでしょうか。そしてそれに気づいたとき、その人は、その対象を好きなままでいられるのでしょうか。はなはだ疑問です。
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「自分のことはいちばん自分がよく知っている」というのは幻想です。自分のことを知れば知るほど、いかに自分のことを知っていなかったのかわかるものです。その探求なしに、好きなことを追いかけても、幸せになれるとは限りません。
ただ、誤解しないでください。いろいろなことにチャレンジすること自体は、すばらしい。重要なのは、その過程で、好きなことを探求しつつも、“嫌いなこと”にも目を向けること。輝かしい外見に惑わされるのではなく、自らの内面を掘り下げること。
その努力なしに、成功などあり得ません。
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なぜ、好きなことを仕事にすると面白くなくなってしまうのか?|期待理論と内発的動機づけ
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