将来の不安をあおることで、必要なこと、やるべきことを訴求している記事は多い。事実、将来の不安につながる事象(ネタ)は世の中にあふれている。
最近で言えば、
- 労働力人口の減少
- 高齢化による負担の増加
- AIが人間の仕事を奪う未来
- 人生100年時代における健康不安
- 空き家問題や地方の過疎化
- 独居老人(孤独死)
などなど、枚挙にいとまがない。
これらの不安因子は、自らの未来を想像するうえで、いやが上にも関係していくる。日本で暮らしている以上、避けられない問題ばかりだ。
では、そういった問題に対して、個々人はどのように対処していけばいいのか。よく聞くのは、「とりあえず、目の前の仕事に全力で取り組め!」というものである。
■「目の前の仕事に全力で取り組め」というアドバイスの無責任さ
しかし、これほど無責任なアドバイスもない。
私たちが抱えている不安は、現実に起こりうるであろう事象に基づいているのであり、そこには何らかの対処法が必要だ。
たしかに、目の前の仕事に全力を投じているあいだは、細かいことを考えなくて済む。場合によっては、未来が切り拓けることもあるだろう。
ただ、それが唯一の解決策かというと、決してそうでないはずだ。やるべきこと、やったほうがいいことは、確実に存在している。
世の中のいわゆる“成功者”と言われる人々は、やるべきことをやってきたからそうなっているものだ。
であれば、むやみに目の前の仕事に全力を投じるだけの生き方は、最善ではなさそうだ。
■最も恐れるべきなのは思考停止になること
最も恐れるべきなのは、思考停止になってしまうことだ。
自分のアタマで考えるのをやめ、誰かが提示した指標に従うだけ。それでは、自分の未来に責任がもてない。主体性もない。
たとえ失敗しても、自分のアタマで考えて、自分で判断し続けること。その過程に「若気の至り」があってもいいではないか。少なくとも、経験を積むことはできる。
とかく、人は安心や安定を求めたがるものだ。ただ、生きている以上、本当の意味での安心や安定はない。それが普通である。
にも関わらず、自分のアタマで考えなくていいようなアドバイスをする人を、私は信用しない。それはただの結果論であり、単なる“事なかれ主義”だ。
だいたい、結果的に成功した人があと付けで構築した理論にもとづくアドバイスなど、自ら実践しない評論家の戯言となんら変わらないのである。
■不安のまま荒野を駆け抜けろ!
結局のところ、私たちにできるのは、不安のまま荒野を駆け抜けるということである。
不安は不安のままでいい。ジタバタしながら、右往左往していけばいいのだ。
不安があるから行動しようとする。不安があるから準備する。不安があるから日々を改善しようとする。そうやって人は進化してきたはずだ。
「あれができるかもしれない」「もっと良い道があるかもしれない」。大いに結構ではないか。迷いながらつかんだ点を、あとで線にすればいい。回り道。一向に構わない。
もっとも、これは目の前の仕事に手を抜いていいということではない。そうではなく、目の前の仕事に全力を投じながら、自分の可能性を追求するということ。それが大事だ。
少なくとも、目の前の仕事に全力を投じることだけで満足してはいけない。不安(危機感と言い換えていいだろう)をつねに感じながら、知り、学び、行動する。ジタバタする。
それこそまさに、充実した生というものではないだろうか。