自分自身の「心」を描く!私小説の書き方

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 小説にはいろいろなジャンルがあります。そのうち、大きく分類すると「エンターテイメント小説」と「文学」に分けられるのですが、とくに日本の文学においては、「私小説」という独自の文化が育まれてきたことはよく知られています。

 そもそも私小説とは「わたくししょうせつ」と読み、簡単に言うと、著者自身の経験や思考を表現したものです。自分自身の過去を掘り下げることによって、人間心理を探求し、そこから芸術性の高い文学作品へと発展させていく試みとなります。

 外国文学では「私小説」という括りで重視されるケースは少なく、日本文学の系譜にあるように、重要視されているのは珍しいようです。それだけに日本の文士たちは、自らの体験を通じて、人間の心を掘り下げる傾向があったと言えるでしょう。

 そんな私小説ですが、近年では、必ずしも日本の文壇の中心をなしているとは言えなくなりました。むしろ、私小説を中心に執筆する「私小説家」を標榜する人は限られています。代表的なところでは、芥川賞作家の西村賢太さんが知られています。

 もちろん、大々的に私小説であると表現されていない作品の中にも、私小説的なものはたくさんあります。文学に限らずエンターテイメント小説でも、一定のレベルで著者の経験や内面が反映されており、その意味において私小説の要素が含まれています。

 ただ、文学で食べていくのが難しいと言われているように、私小説に関しても、そこを追求してファンを獲得していくのは容易ではありません。読者を魅了するわかりやすいストーリーや展開が、必ずしも含まれているわけではないからです。

 それでも、芸術作品として、あるいは人間心理の探求として、私小説を書く意義は失われていないと思われます。またその意味において、私小説を書き続ける作家は今後も存在し続けることでしょう。自分を探求することが、人間を掘り下げることになるからです。

 人間を深く掘り下げた人は、そこで得られた知見を生かして、他の人には容易に生み出せないような作品を創出します。そのような作品には、普遍性があり、真理があり、国や言語を超えて評価されるものとなるでしょう。

 そこに、創作家として私小説に挑戦する意義があります。自分を通じて人間を掘り下げる訓練としては、まさに、私小説を書くのが最適なのかもしれません。いずれにしても、挑戦するだけの価値はあるでしょう。

 では、どのようにして私小説を書いていけばいいのでしょうか。「正解」はありませんが、ひとつの指標として「なんでも書く」ということが挙げられます。過去、文豪が書いてきたものを読むにつけ、タブーを設けずなんでも書くことが、不可欠だとわかります。

 とかく人間というのは、自分をよく見せようとするものです。自分のいいところに着目し、そこを脚色しながら小説を書きたくなるのは、誰でも同じでしょう。しかしそれでは、本当の自分を見ていることになりません。

 むしろ、本当の自分、それこそ醜かったり汚かったりする自分から、目をそらすこととなってしまうのです。それでは、自分自身を通じて人間を探究していることにはならず、また作品としても中途半端なものになってしまうでしょう。

 そうではなく、「なんでも書く」という姿勢をつねに持ち、勇気をもって自分のマイナス面に目を向けてみること。そこから人間の探求がはじまります。そのようにして、私小説は書かれていくのではないでしょうか。

 私小説を書いていると、ときに、これまで隠してきた自分に出会うことがあるかもしれません。そしてそれは、私小説を書こうと思わなければ、死ぬまで開けられることのないパンドラの箱だったかもしれません。

 それを開けたことが、その後の人生にプラスになるのかマイナスになるのか、それはわかりません。しかし、私小説を書いたことによって何か新しいものがもたらされたとしたら、書いた価値はあると思います。

 加えて、もしその私小説が誰かの目に触れて、そこから読者の中に気づきや発見が生まれたとしたら……。私たちの文学的営みというのは、まさに、そのようにして綿々と受け継がれてきたのではないでしょうか。

■まとめ

・私小説とは自己の経験を作品にしたもの
・私小説では自分自身を深く掘り下げる
・自分を掘り下げることが人間の探究につながる

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