小説はキャラクターで決まる!魅力的な主人公を描くために必要なこと

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 小説を書くには、いくつかの要素が必要です。大きく分類すると、「テーマ」「キャラクター」「舞台(場所)」「時代設定」「ストーリー」の5つが挙げられます。これらに加えて、必要に応じて「文体」や「長さ」なども考えていきます。

 このうち、とくに重要なのがキャラクターです。キャラクターに魅力がなければ、どんな小説も、作品としての質が低下してしまうでしょう。とくに感情移入しながら読む小説は、魅力的な主人公がいてはじめて、その作品を読み進めることができるのです。

 優れた構成やストーリー、時代設定などに力を入れることも大切ですが、小説の基本は「人間」を描くことに尽きます。そのため、「人間」を体現するキャラクターに魅力がなければ、読者はひとつのフィクションとして楽しむことができません。

 小説はノンフィクションやルポなどとは異なり、あくまでも作り物です。もちろん、作者の経験や取材等によって集めた一定の事実が含まれていることも多いのですが、全体として、著者が作り出した物語であることは間違いありません。それが小説の本質です。

 一方で、書かれていることのすべてが事実でないからこそ、創作としての小説に価値があるとも言えます。事実を書こうとすれば、どうしても、事実に左右されてしまう。あくまでも、事実を書こうとして制限が加わると言ってもいいでしょう。

 しかし小説は、作者の創作であることが前提であるために、制限がない。著者の頭の中にあるものをすべて、自由に、表現することができる。だからこそ可能性は無限大ですし、人間の脳という、未だにほとんど解明されていないもののポテンシャルを垣間見ることができるのです。

 ただし、いくら自由に書いていいとは言っても、一定の制限があります。それは、作品として成立しているということ。必ずしも、いわゆる「物語」である必要はないのですが、小説という作品として成り立っていると、作者および読者が認めることは不可欠です。

 読者の側が「これは小説ではない」と思うことはあってもいいのですが、作者もまた「これは小説ではない」と思ってしまうと、少なくともそれは、小説ではなくなってしまいます。書こうとしているものと、書かれたものとの間に、ブレがある。

 では、そのブレをなくすには何が必要なのでしょうか。それは、冒頭でも申し上げたような「人間」を描くことに他なりません。もちろん、主人公は擬人化した動物でもいいのですが、私たちは、小説を通して人間を読んでいることを忘れてはならないでしょう。

 さらに、読者が小説を通して読んでいる「人間」というのは、主に、キャラクターを通して体感されます。その点、魅力的なキャラクターというのは、「人間らしい」キャラクターであるということに尽きるのです。

■どうすれば人間を描くことができるのか?

 そこで問題となるのが、「いかにして人間らしいキャラクターを描けばいいのか」ということでしょう。たとえば人間を描くべきだとわかっていても、その本質がわかっておらず、表面的なものになってしまっては意味がありません。

 優れた作家には、それぞれの「人間観」があります。土台となる人間観があるからこそ、それをベースにしてキャラクターを描き、作品の中で人々がリアルに動いていくわけです。その点において、人間への理解は欠かせないでしょう。

 ただし、人間観に正解があるわけではありません。作家によって描かれる人間が異なっているように、人間に対する見方やとらえ方は、百人百様です。そのため、作者が見ている人間を忠実に描くことができれば、そこに人間がいると評価できるわけです。

 一方で、多様な人間観があることの裏側には、普遍的な人間的要素も存在しています。作者によって異なる人間観に大して、誰が見ても存在すると認識できる、普遍的、一般的な人間的要素です。それを無視して、人間を描くことはできないでしょう。

 では、その普遍的・一般的な人間的要素とは何か。たくさんあるのですが、わかりやすいものを一つ挙げるとすれば、「よくなりたい」という意思があります。人間、誰もが、さまざまな方向性をともなう「よくなりたい」という意思をもっています。

 それは単純に、「自分を成長させたい」という思いであることもあれば、「もっとお金がほしい」「いい生活をしたい」など、即物的な感情で表現されることもあるでしょう。あるいは、「地位がほしい」「名誉がほしい」などの場合もあります。

 いずれにしても、「今よりもっとよくなりたい」という願望は、人間特有のものではないでしょうか。とくに現代人は、衣・食・住が満たされやすく、そのために多様な感覚としての「よくなりたい」をもっています。そこに、描かれるべき何かがあるかもしれません。

 他方で、「自我(エゴ)」もまた普遍的な要素と言えるでしょう。心理学では、幼児期を経てはじめて自分自身を自覚し、青年期になって確立されると言われている自我は、人間を人間たらしめる重要な要素のひとつです。そこには普遍性があります。

 ただ、個々人の自我を取り出して見せることはできず、それぞれが感じる自我は、何らかの方法によって具現化し、共有するしかありません。たしかに感じられている感覚を、別の方法で置き換え、他人と共有できるように加工するのです。

 それがすなわち“表現”というものではないでしょうか。「もっとよくなりたい」という感情や「自我」の感覚は、目に見えないものである反面、各々の内面に不可避的に存在しています。普遍的であるがゆえに、創作として、共感のベースになります。

 そのような人間としての普遍的な要素を描き出すことによって、小説の中に人間が生まれ、生き、活動し、読者とともに共有されていきます。人間を描くことに比べたら、その他の要素はかすんでしまいます。それほど、重要なことではないでしょうか。

■魅力的なキャラクターに不可欠な3つの要素

 普遍的・一般的な要素を含むという側面から人間を描くことについて考えていきました。では具体的に、どのようにして魅力的なキャラクターを創作すればいいのでしょうか。キャラクターを描く際に盛り込むべき要素は3つあります。

1.自我の葛藤

 1つ目は「自我の葛藤」です。自我は人間に備わる普遍的な要素となり、どのようなキャラクターを描く際にも不可欠なものとなります。そしてすべての自我は、他社とのかかわりを経て葛藤し、悩み、苦しみを生みます。

 その過程において、「どのように生きるべきか」「人生に何を求めるか」などを疑問が生じてくることになるのですが、いずれにしても、自我の葛藤があることによって感情や思想を得て、行動していくことに変わりはありません。

 自我の葛藤がない人生というのはありえません。誰にとっても、自分と他者との関係性を通じて、自分自身を知り、他者を知り、両者のあいだに横たわる壁や溝を体感しながら、成長していきます。やがて、そこにひとつの答えを見出していくのです。

 私たちは、他人とかかわらずには生きていけません。いくら世捨て人になろうとしても、自分が望むと望まざるとにかかわらず、他者は自分に関係してきます。そして自我があることによって、そのような他者との関係に苦しくこととなるのです。

 その自我の葛藤にどこかで折り合いをつけながら生きていくのですが、本音と建前という言葉があるように、私たちの内面にはつねに自我の葛藤の片鱗があります。折り合いをつけられず、くすぶっている自我があります。それを描くのです。

2.非我への態度

 同時に、「非我への態度」もしっかりと描いておく必要があります。非我というのは、自我の対義語となりますが、他人を含めた自分以外のすべてを含む概念と理解すればいいでしょう。つまり、自分以外への態度を明確にすることが、人間を描くのには欠かせません。

 自分に対する態度が自我であるように、他者に対する態度が非我となります。自分自身がどう社会をとらえ、対応していくのか。そこには、本当の自分と作り込んだ自分がいるはずで、その自分は社会に対してどのように接していくのか。

 キャラクターが動くというのはつまり、そのように自我と非我のはざまでもがき、七転八倒しながら、それでも生きていくということに他なりません。生きていくという前提があるからこそ、目の前のものごとに折り合いをつけ、対処していくのです。

 ただ、人にはそれぞれの個性があるように、非我への態度もまたさまざまでしょう。利害損得を重視する人もいれば、感情を重視する人もいますし、他者への配慮や生き方、物事への取り組み方も異なります。それでいいのです。

 そのような非我への態度を丁寧に描くことが、多様性を表現することになり、作家固有の世界を描くことにもつながります。自分と他者をきちんと描くことによって、リアリティが生まれ、ひとつの小説世界が創造されていきます。

3.世界への向き合い方

 自分がいて、他者がいて、それらを含むあらゆる環境が「世界」です。小説において、その世界をつくるのは作者以外にありえません。その点において作者は、小説における神であり、全知全能の存在である必要があります。

 ただその場合の全知全能とは、万能という意味ではなく、「なんでも知っている存在」というレベルにとどまります。本当の神ではなく、自分がつくった世界を統べる存在として、あるいは創造する者としての神ということです。

 小説の世界をつくるのは、一にも二にも作者です。作者が意図したとおりに、小説の世界はできあがっていきます。その世界に関しては、作者以外が知ることはできず、作者の頭にある思考や構想がすべてです。その点において神というわけです。

 だからこそ、作者は自分の頭の中にある世界を忠実に、読者にわかるように表現しなければなりません。いくらすばらしい着想があっても、それを伝わるように表現できなければ意味がありません。伝えるように、楽しんでもらえるように書くのが小説です。

 作者は、その作品を通して、どのように世界に向き合っているのか。それを描くのが小説であり、そこで描かれたものが物語です。世界への向き合い方を文章というかたちにしたものが、その作者による小説と言えるでしょう。

 このように、自我、非我、世界(観)という3つの視点から物語を組み上げていけば、生きたキャラクターを描くヒントになるかと思います。その世界でキャラクターがリアルに生きていれば、それが魅力的な小説の一端となるのです。

■キャラクターを作品の中で動かすために

 とくに重要なのは、言うまでもなく主人公です。主人公に魅力があり、その主人公が小説世界で人間として動きまわっていないと、どんな小説もおもしろくありません。動きまわるとはつまり非我や世界に対峙しているということです。

 主人公の魅力は、必ずしも、誰からも好かれるということを意味しません。自分のことしか考えず、他人に対して冷酷非情な人物であっても、魅力的な主人公になる場合があります。ポイントはやはり、人間を描くということに尽きるでしょう。

 人間の本質は、生まれたときから他人を大切にしたり、倫理的であったり、道徳を守ったりすることではありません。それらはすべて、成長する過程で外部から与えられたものです。植え付けられたものと言ってもいいでしょう。

 いくら人間が優れていると言っても、所詮は動物の一種です。それを忘れて、他人のために尽くせる存在を描いても、それは単なる理想やウソであり、作者はきちんと世界と向き合っていないと思われても仕方ありません。

 動物として、まず自分を守ろうとすること。自分の利害を優先しようとすること。それがすなわち自我の一端ですが、そこから派生してはじめて、他者とかかわり、他者を知り、他者を優先してもいいという気持ちが芽生えてくる。

 だからこそ、私たちは利他主義に惹かれるのではないでしょうか。自分を大切にするという、すべての生命に共通する土台を共有しながら、それでも、自分以外のものを大切にしようとする姿勢。人々はそこに魅了されます。

 そのような態度は他者や世界と関係するなかで生じていくものですが、主人公が人間であれば、あるいは主人公を人間として描けていれば、他者や世界とのかかわりあいの中で、自然とそうしたリアクションが創出されていくはずです。

 その点において、人間とは何なのかを徹底的に考え、その思考を主人公にきちんと投影し、キャラクターとして作り込んでいけば、他者や世界は自ずとリアルになっていきます。そこから、物語小説としての骨格ができあがっていくのです。

■まとめ

・小説は「人間」を描くもの
・キャラクターには人間的要素が不可欠
・小説の人間は「自我」「非我」「世界」から考える
・物語小説における人間とは主人公である
・主人公が動けば他者や世界は自然に構成される

 人間を探求し、人間を描いていくこと。そのようにして、小説という作品に深みを与えていきましょう!

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