さて良い文章・良い書籍とはなんでしょうか。「読みやすいもの」「売れるもの」はたまた「行動をうながしてくれるもの」。定義はひとそれぞれかと思います。ただ、ことライター視点で考えるのであれば、丸山眞男が述べた「他者感覚」はぜったいに外せない要素なのではないでしょうか。
「他者感覚」とは
他者感覚とは、「他人を他人の立場に立って自分として理解すること」です。
他人を“自分の立場”から理解するのでも、ただ“他人の立場”から理解するのでもありません。あくまでも、“他人の立場”から“自分として”他人を理解するのが他者感覚です。
こと人間は、物事を自分中心に考えてしまうもの。それは、必ずしも悪いことではありませんが、結果として他人を否定することにもつながりかねません。
他人を否定してしまえばどうなるか。そこには、ただ自分本位の生があるだけです。「自分こそが真」「自分こそが正義」。そのような発想は、自分以外のものすべてに対する無理解となり、紛争を生み、ただただ感情的・原始的な生活を続けていくことになる。とても文明的とは言えません。
同意が前提とはならない
他者感覚の重要性をあらわす言葉として、フランスの哲学者であるヴォルテールは次のように述べています。
私はあなたの意見には反対だ。だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る。
I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it.
つまり、「私はあなたの意見には賛同できないが、あなたが他者として意見を述べる権利は尊重したい」ということです。これこそまさに、他者感覚の第一歩と言えるでしょう。
そのうえで、他者感覚を身につけるには、不断の努力を続けていく必要がある。他者を他者の立場から自分として理解するように努める。訓練する。それが結果的に、自己変容をもたらす「自己内対話」につながるわけです。
顧客思考につながる発想
これを文章、あるいは書籍にあてはめるとどうなるか。
前提となるのは「私はこう思う、私はこれを伝えたい、私はこれを主張したい」という想いでしょうが、次にくるのは「では、どうすれば正しく、わかりやすく読者に伝えられるか」となります。
もし他者感覚がないと、「読者にどう伝わっても構わない。それよりも(自分の)正しさが大事」となってしまう。ビジネスで言うところの「顧客思考」の欠如です。
いくら高度な技術をもっていても、「それで、その技術は何に使えるの?」ということが明確でなければ、顧客に選ばれることはありません。日本のものづくりが衰退したことからも、それは明らかでしょう。
日本人の悪癖
第二次世界大戦時の「國體明徴運動」。その異常性の源泉となっているのは、日本人の「群れを好む」習慣です。そうした特徴を象徴する「ムラ社会」という言葉もあります。
強固な仲間意識・内向き意識があるために、他者を容易に排斥してしまう。しかも、執拗に。鎖国にはじまり、学校でのいじめ、ヘイトスピーチ。これらは、いかに日本人が他者感覚をもつのが苦手か、ということを表しています。
他者(読者)に伝わらないとわかっていながら、あるいはそれと気づかずに、専門用語を使ってしまう。横文字を連呼する。一般とは異なる言葉の定義をしてしまう。そこにあるのは、「仲間内の愉悦」そして「自己満足」だけです。
自分を開示し、自分を否定する勇気をもつ
誰しも、自己を開示することに不安を感じるものです。自分の弱さやもろさが露呈する可能性があるからです。また、同様に、自分を否定するのも、あまり気分がいいことではありません。
しかし、他者感覚を身につけるには、そこからはじめるしかありません。つまり、自分を開示し、自分を否定する勇気をもつこと。弱さやもろさ、無知を自覚し、つねに自己内対話を続けること。
鶴見俊輔は次のように述べています。
間違いの記憶をギュッともっておくこと。その間違いたちが、やがて真理の方向を示してくれる。間違いの記憶を保ち続けること。そこからやる。それが未来だと思います
傲慢とは正反対のところに未来がある。まさに、良い文章・良い書籍の未来もまた、同じところにあるのではないでしょうか。
平凡社
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