謝罪や反省を求め続ける人々の心理

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終戦後70年を過ぎました。

安部総理が談話を発表しましたが、その内容に「謝罪」「痛切な反省」などの文言が盛り込まれているかどうかが、さまざまな場面で議論されています。

とくに諸外国に配慮してとのことだとは思いますが、どうも方向違いの批判をしている人たちがいるようです。

 


私たちはいつまで犯罪者なのだろうか?

たしかに、日本が行ったことは侵略かもしれません。その点に関しては反省すべきだと思います。むしろ「侵略戦争は悪いことではない」なんて思っている人はほとんどいないのではないでしょうか。つまり、論点は「反省すべきかすべきでないか」ではないということです。

では、何が問題となっているのか。それは「かつて、日本が行った侵略戦争について、その行為を行った子や孫までもが反省するべきなのか」ということです。この点を問題視しているからこそ、談話に「謝罪」「反省」を盛り込むべきかどうかが議論になっているのです。

過去の戦争に対する日本人の態度への批判として、「犯罪者が「すでに謝罪したからもう謝罪しない」というのはおかしい」と言ってしまうのは、物事の本質がみえていない証拠です。反省はします。これからも、日本人である以上、反省をし続けることになるでしょう。

しかし、しかしですよ、ご先祖さまがしたことに対して、子や孫やさらに未来の子どもたちにも謝罪を引き継がせるのは正しいことなのでしょうか。甚だ疑問です。反省の気持ちはもつべきです。同じ過ちをくり返してしまわないために。そのための教育も行われています。

それなのに、日本に生まれてきた瞬間に謝罪しなければならない運命を背負ってしまうというのは、多様性を認めるべきこれからの社会において、すんなり納得できません。謝罪をしなくてもいいとは言いません。でも、人殺しの子どもは、いつまで経っても人殺しの子どもとして扱われるべきなのでしょうか?

「犯罪者が「すでに謝罪したからもう謝罪しない」というのはおかしい」というようなバカげた批判を平気で言ってしまうような人たちに対しては、どんな反省も、どんな謝罪も通用しないと思います。「日本人は謝罪するために生まれてきている」というレッテルでもはりたいのでしょうか。

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コメント

  1. kojiken222 より:

    日本政府は歴史上何十回も謝罪を繰り返しているにも関わらず、未だに「日本は心から謝罪したことがない」という声が聞かれるのもおかしな話ですね。
    「謝るパフォーマンスをしておきながら、次の日には平気で靖国に参拝する」と批判させることもありますが、このあたりはどうも『死人は皆平等』という日本独特の考え方が理解されていないのかもしれません。

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