「自分の問題に取り組むことが人生における唯一にして最大の目的である。」 丸山眞男を知って、その考えがちょっとだけ変わりました。
つまり、丸山が言う「戦後・民主主義」は、国民ひとりひとりが能動的に国の問題について考え続けることで成り立っているからです。しかも、民主主義は決して完成することがない。
もっとも、ここで「政治」ではなく「国の問題」と言っているのは、吉本隆明が次のように批判しているからです。
高度経済成長期においては、豊かさを求める人々こそが民主主義の基底をなしている。私的利害を優先する意識は、政治無関心として否定的評価を与えるべきではない。
たしかに現状を鑑みると、経済第一主義が必ずしも政治無関心につながっているわけではなさそうです。むしろ私的利害を優先させることで、国内外の民主制を保とうとする向きも見られます。(安全性の維持、体制の保持など)
ただ、そこに格差の芽があることも忘れてはなりません。経済第一主義をつらぬくことで潤う人もいれば、そうでない人もいる。私的利害を優先することが正義だと考えられるようになれば、結果として「他人を思いやる」公共性が軽視されてしまうのです。
そこで、丸山眞男の言葉から戦後民主主義についての考えを学び、現代への知見を得ることにしましょう。(NHK Eテレ『日本人は何をめざしてきたのか』参照)
・国家による思想統制
無限に国家権力が精神の内面に土足で入り込んでくる
戦中の日本は、国内の思想統制と国外への侵略戦争を行うファシズムでした。その結果、原爆投下という最悪の結果をともなった敗戦を経験することになります。
そうした反省を生かし、同じ轍を踏まないよう、丸山は当時まだ一般的でなかった民主主義という思想を広めようと活動を続けていたのです。
・無責任の体系
日本の軍隊(あるいは当時の国家秩序)は、「抑圧移譲」によって心理的なバランスを取る構造だった
ただ、戦争をくり返さないためには、つまり日本を軍国主義に戻さないためには、なぜ日本は戦争という最悪の選択をしてしまったのかを知らなければなりません。
当時の研究者の見解によれば、日本は「無責任の体系」になっていたとのこと。上から下への抑圧によって、誰も戦争責任を感じることなく、心理的バランスが保たれていたのです。
・「一身独立して一国独立す」
主体性のある個人が独立心をもってはじめて国家も独立する
そこで丸山が注目したのは、福沢諭吉の「一身独立して一国独立す」という言葉です。
間違っていると思うことは、間違っていると言う。そういう心的姿勢をすべての国民が持つことによって、はじめて民主主義がスタートすると考えたのです。
・精神の冒険
「◯◯が素晴らしい」というだけでなく、自分の中に取り込み、しかしそれを絶対視するのではなく、相対化してあらゆる角度から検証する
もちろん、それまで「天皇のため」という万能の答えを抱えていた人々に、自分の考えを持たせることは容易ではありません。
だから啓蒙する必要があったのです。自分の意見があり、そして他人の意見がある。その現実を許容するために、丸山は「精神の冒険」が大事だとも言っています。
・豊かさの中にある矛盾
本来の民主主義には、多様な選択の自由があるはず。レールの上に乗るような生き方ではない
ただ、民主主義は丸山の思うようには進んでいきませんでした。
一方で、アメリカ式の豊かさを求める人がいる。また一方で、安保闘争や全共闘の活動も起きる。結局のところ、大衆は誰かの敷いたレールから能動的に降りようとしないのです。
・永久革命としての民主主義
理想が完全に実現することはないが、理想を掲げることには意味がある
それでも、民主主義を追い求めてさえいれば、いつかは理想に近づけるかもしれない。
丸山は、民主主義が完成された「である」のものではなく、永久運動としての「する」ものであると気づいたのです。完全に達成されるものではないからこそ、考え、実行し続けなければならない、と。
・他者感覚
他者の意見を自分の中に内在化させて理解する
さらに、戦前のような多数派の思想を優先する民主主義ではなく、少数派の意見にも耳を傾けるものでなければ、本当の民主主義には近づけない。
それが永遠の課題としての「他者感覚」です。永久革命としての民主主義と、永遠の課題としての他者感覚は、まさにコインの表裏と言っても良いでしょう。
まとめ
- 多数者支配という日本の伝統的な民主主義から、少数者の権利を尊重する民主主義へ
- 個人が能動的に参加することで、民主主義は推し進められる
- 他者の意見を相対化して自分の中に内在化させることで、思想が発展する
- あらゆる国は民主化の“過程”にある
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