文章が書けないと、人生において損をする。
世界がコミュニケーションによって成り立っていることは周知の事実だ。
人は一人では生きられない。
だからこそ、誰もがコミュニケーション力を身につけようと躍起になっている。
身につけようとしない者は、それだけのハンディを負うことになる。
自身を理解してもらえずに、何を成し遂げられると言うのだろうか?
これは、自分自身にとって、多大なる損失だ。
コミュニケーションとは
コミュニケーションの基本は、相互に理解することだ。
そのために、自分のことを伝え、相手のことを聞く。
それは、自身の「思想や感情」を表現していることに他ならない。
そしてコミュニケーションは、言葉か文章によって行う。
もしあなたが、どちらかしかできないとしたら、それだけ伝わりにくくなる。
文章が書けないことで負うデメリット
文章が書けない場合に負うデメリットを三つ挙げてみる。
1.言葉ですべてを伝える必要がある
文章が使えない以上、話し言葉によってすべてを伝えなくてはならない。
その場合、実際に会うか電話によって、自分の時間と相手の時間を奪って、お互いを拘束しなければならない。
会っている時も、電話している時も、他のことに十分集中することはできない。
また、話しながら伝えるべきことを全て伝えられたかどうか、相手が理解できているか、こちらは相手のことを理解できているかを把握しなければならない。
限られた時間の中でだ。
文章が書ければ、書面ででも、メールででも、事前に様々なことを伝え合えるというのに。
2.自分から発信できない
文章を書いていると、思ってもみなかった人に、自分の思想を伝えられることがある。とくに、インターネット上ではそれが顕著だ。
現在では、ホームページもブログもソーシャルメディアもある。
もし、そういった人と話そうと思ったら、アポを取るか訪問するしか無い。
それがいかに難しいことなのかは、想像できるだろう。
当然、異性に想いを伝える手紙も、限られた時間でのアプローチ法である。
実際に会った時の心理的負担は、雲泥の差だ。
3.目的が達せられない
どうしても叶えたい望みがある。
仕事上の話でもプライベートでも同じだ。
しかし、文章が書けなければ、目的を達せられない。
まさか、メールもチャットも書類も手紙も使わずに、何かが達成できると思っているわけではあるまい。当たり前に使われているツールは、自身も当たり前に使いこなさなければならない。
自分は文章が書けないからと、諦めて何の目的を達せられるというのか?
喋りに自信があるというのも、考えものだ。
自信があるだけに成長しない。より喋りに磨きをかけるためには、文章として話し言葉を理解しなければならない。
まとめ
いかがだろうか。
文章が書けないことで、多大な損失をこうむることが分かって頂けただろう。
そして、それはこの先ずっと続いていく。
きっと、書けない人は読めない人でもあるだろう。
読めなければ、成長もないし、世界はまったく広がらない。
誰もがいつでも、話を聞いてくれると思ったら、大間違いだ。
コジゲン一言メモ
話し、書き、見、聞く。コミュニケーションの基本だね!
どれか一方に偏っては、いびつなコミュニケーションになってしまうよ!
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