文章を楽しく書き続けるにはたったひとつの◯◯だけが必要だった『考える技術・書く技術」』

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考える技術・書く技術 (講談社現代新書)

考える技術・書く技術 (講談社現代新書)

 これまでにも、「書く技術」に関する書籍はたくさん読んできたけど、「考える技術」についての書籍はあまり読んでこなかった。

 「考える技術」となると、それは、どちらかと言うと、哲学書に近いものだろうか?ん~、それならば、「哲学はこんなふうに」や「幸福について―人生論 (新潮文庫)」などは人並みに読んできたのだが……。

 だけど、ここで言う「考える技術」とは、哲学ともまた違ったものだった。それは、後の「書く技術」を高めるためのものだったのだ。


考え、そして書くために

 文章は、考えなければ書くことができない。とまあ、なにを当たり前のことを、と思われるかもしれないが、これは大事なことだ。

 たとえば、人から教わったことをそのまま文章にすることは、はたして考えていると言えるだろうか。微妙なところだけど、書いた文章に対して反論が述べられたとき、そこで相手を説得できなければ、それは考えて書かれた文章とは言えなそうだ。つまり、ただの受け売り。

 ぼくもよくやっちゃうことなんだけど、学びはそのままでは価値がない。つまり、読書や勉強によって得られた知識は、いったん自分の中に吸収して、かみ砕き、自分が蓄積したものと混ぜあわせなければ意味が無いのだ。

 そして、吸収した知識と、自分が持つ知識や情報を混ぜたものを、文章としてアウトプットすれば、それが“知恵”となる。

頭とか脳について

 よく、「頭が良い」とか「頭が悪い」なんて言い方がなされているが、今までどうもピンとこなかった。だって、たとえば、学校の成績が良い=頭が良いということならば、それは努力でなんとでもなることだからだ。これでは、努力できる=頭が良いとなってしまう。

 また、「体がなまる」という言葉はよく聞くが、反対に「頭がなまる」という言葉はあまり聞かない。どちらも、人間の一部であって、似たような仕組みになっていると考えても、おかしくないはずなのに。

 つまり、生まれついての頭の良し悪しなどないし、体と同様に頭もなまるのでは、ということだ。そう考えると、常に頭を使い続けることが、良い文章を書くためには欠かせないと思えてくる。

自分の視点を変えてみる

 でも、そうやって自分の頭だけで考え続けることには、限界がある。どうしたって好き嫌いはあるわけだし、感情的な思考や判断がかたよるのを、避けることはできそうもない。

 だからこそ、意図的に自分の考えを否定する必要があるのだ。それは、自分の考えとは違った意見を受け入れるということに近い。

 あるいは、その他大勢の意見や、少数派の意見を自分の意見と照らしあわせてみたり、紋切型の意見を否定する必要もありそうだ。自分が無意識にもってしまっている固定観念に対し、つねに「それホント?」と疑う姿勢が大切だろう。

いつもと違った読書

 で、そのために何ができるかと言うと、ライフワークである読書から変化させていくことだ。

 たとえば、読むべきだと思っていた書籍をもう一度精査してみたり、仕事に関係のない本を読んでみたり、著者の立場になって世界をみてみたりする。これはなかなか難しいことだけど、あんがい色々な世界が見えてきて、楽しいかもしれないね。

 あるいは、溜め込んでいた情報をすべて捨ててしまうなんてことも良さそうだ。寝る前に頭を真っ白にする、忘れる、という方法に近い。そして次の日起きてから、再びまっさらな頭で考え始めるのだ。

まとめ

  結局のところ、自分の頭で考えているかどうか、ひとの意見を鵜呑みにしていないかどうかを、つねにチェックするのが手っ取り早い。

 その際、正しさとか間違いとかのあいだで、フワフワしてしまう恐さがあるけど、それもまた楽しめるのかもしれない。

 なぜなら、書き続けるというのは考え続けることだし、考え続けるのが楽しいから書き続けられるのだから。

 お付き合い、ありがとうございました。多謝。

考える技術・書く技術 (講談社現代新書 327)

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