以前、とある文章教室に出席したときに、こんな話を聞いた。
「これからの時代に活躍するwebライターは3つに分類される。専門分野を持つ『スペシャリスト型』、取材や撮影もこなす『マルチ型』、編集者とメディアプランナーの視点を持つ『ハイブリッド型』の3タイプだ。」
なるほどそうかもしれない。
どのみち、文章を書くだけで食べていけるひとは、そう多くはない。ならば、どの媒体を主軸にしたとしても、文章+αの能力があれば活躍の幅を広げることができるだろう。
そのなかでも今回は、「編集」のお話。
「編集」ってなんだ?
『はじめての編集 [単行本]』のなかで、「編集」は次のように定義されている。
「企画を立て、人を集め、モノをつくる」こと
また、編集の基本は
「言葉、イメージ、デザイン」
とある。
なるほど、本当に優秀なwebライターであれば、「企画を立て、人を集め、モノをつくる」ことも「言葉、イメージ、デザイン」にも手を抜かないのだろう。ただ、個人単位でメディアを運営している「ブロガー」にとっては、それらすべてを行なうことは酷だ。なにより、時間や金がかかりすぎて、結果、続かない。
それならば、「せめて文章だけでも頑張ろう、命をはろう」というのが僕なのだが、じゃあどうやって編集を行なうというのか。うん、すっごく単純な話、「書きやすく、そして読みやすい文章にするために」つくり変えたり、並べ変えたりするだけ。あとは、ちょこちょこっとイメージを考えたり、デザインも気にしてみたりする。
つまりは、“文章がすべて”というわけ。だから、書きやすくも読みやすくもならない編集はしない。そうやってシンプルに考えると、編集ってホントに便利なものなんだって気付く。
編集があるからラクに文章が書ける!
うしろに名ゴールキーパーがいると思えば、ディフェンダーは伸び伸び動きまわることができる。それと同じように、うしろに「編集」という作業が控えていると思えば、スラスラとラクに文章を書くことができる。
結果としてどちらも自分が行なうにしても、行程が増えたと考えるより、個々の作業が気軽にできるようになったと考えた方がずっと良い。編集は、「書かないよりも、とりあえず完成させることが大事」という、文章の基本を行動にうつすための、心の支えとなってくれるのだ。
読者は“飛ばし読み”をする
ことメディアの場合、読者は文章をすみからすみまで読むことはない。たいていは、「タイトル→見出し→拾い読み」といった感じだ。だからといって、文章そのものを疎かにして良いわけではないが、ポイントをしっかりと押さえていれば、神経質になりすぎる必要はないのだ。
そして、本当に伝えたいこと、大切なことは、編集作業で強調したり、フォントを大きくしたり、アンダーバーを引いたりして目立たさせる。そうやって、読者のために補助してあげることで、読みやすさがグッと良くなり、伝わりやすくもなる。
「良い文章」はメディアごとに異なる
また、どの媒体でも光るような「万能の“良い文章”」は存在しない。それは、読む人や時代背景によって、評価が変わるからだ。
ただ、文章の基本は、どの媒体でも変わりはしない。誰しも、誤字脱字の多い文章は読みたくないし、意味が通じないものも嫌いだ。
そういった基本をおさえつつ、編集作業によって、各媒体にあう構成へと作り変えていく。編集作業によって書き手は、媒体のことを深く考えずに、自分の文章を書くことができるのだ。
“人と違うことを語りたかったら、人と違うことばを使え”
これは、柴田元幸『翻訳教室』中の村上春樹の発言から引用したスコット・フィッツジェラルドの言葉である。
人と違うことを語りたいと思うのは文章家の常だが、そのために人と違うことばを使ったらどうなるだろうか。理解されないかもしれない、誤解されるかもしれない、あるいは無視されるかもしれない。
ただ、編集という作業によって手が加えられれば、もっと読み手に近づけるかもしれない。もっと、書き手に近づけてくれるかもしれない。だから、大胆に書ける。
編集するから大丈夫
文章を書けない理由はたくさんあるが、特別疲れていたり病気なのでなければ、たいていの場合は「上手く書けない」と不安になっているからだ。そんなときには、書けない自分にこう言ってやると良い。
「編集するから大丈夫」
目次
はじめに 人生を編集する時代を楽しむために
第1章 高速編集史
第2章 企画は企画を感じさせないこと
第3章 言葉は人びとを振り向かせる
第4章 イメージはアーカイヴから生まれる
第5章 デザインの形式こそがメッセージである
第6章 編集は拡大する
補講:ところで「美しい」とは何?
あとがき
類書
お付き合い、ありがとうございました。多謝。