「諦めたらそこで試合終了だよ」
ご存知の通り、安西先生の有名な言葉です。
この言葉に、何度救われたことだろうか。
いつだって諦めなかったものだけが栄光を手にしている、ということを思い出させてくれる、素晴らしい言葉ですね。
ただ、そのことを認めながら、僕は、人生には”焦点”が必要だと考えています。
「二頭追うものは~」じゃないですが、何かを得るためには何かを捨てる必要があると。
つまりは、「何を諦め、何を諦めないか」ということです。
30年というのは、ちょっとした年月です。
四半世紀以上。
誇張じゃなくて、もういつ逝ってもいいかなって思えるぐらいに、人生を堪能できる年月。
少なくとも、僕は今の段階ですでに、悔いはない。
ただやっぱり、失われていくものはあって、それは体力だったり、気力だったり、仲間だったり、両親(良心)だったりする。
もちろん反対に得るものもあります。
記憶力の代わりに、判断力や洞察力とか。
経験値のたまものですね。
とにかく僕は厭世主義者ではなくて、なんとなくいつも”死は近いもの”だと思ってきたので、そう思うんです。
20歳の頃には、友人とダブルデートしてたとき、高台の公園で星を眺めながら
「俺達ってもう結構生きたよな…」
とか言って、女の子たちに笑われてたぐらいですから。
あんまり共感されませんが、まあ仕方ないですね。
そんでまあ色々と、良いことも嫌なことも経験してきて、取捨選択をせなにゃあならんって思うんです。
節目ですから。
それで、決断しました。
僕が選んだのは「幸せ」で、諦めたものは「金」と「女」。
けっこう悩みましたがね、まあ良いでしょう。もう十分。
世の中で、スポットライトを当てられている人というのは、この金と女を得ている人ですよね。
それに加えて、あとは地位とか名誉とか細かいものたくさん。
そんなもんいっそのこと全部、諦めてやろうかと思ったんですよ。
何よりも僕自身の幸せのために。
僕の幸せというのは、至極単純なことで、「文章」に囲まれていればそれで良い。
良い文章に触れて、自分でも良い文章を書いて、あるいは書けるような努力をして。
そんな毎日が、僕にとっては本当に幸せで。
何もかもを手に入れているような人がいるけど、たぶん、きっとどこかで、何か大切なモノを失っているはず。
それはなんだろうか?
幸せじゃなければいいけど。
あるいは、最後まで失ったものの存在に、気付かなければいいけど…。
もし安西先生にお会いすることがあったら、こう言おうと思う。
「僕は金と女を諦めました。でもそれは人生を、幸せを得るための取捨選択です。
僕の試合は終了しません」
そう、胸を張って。
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