「他人に情けをかけてあげることは、その人のためではなく、自分のためになる」という意味ですが、本当に相手のことを思うのなら、ただ黙って見守るのが「成熟した大人」への正しい対応ではないでしょうか。
・外部からの援助は人間を弱くする。自分で自分を助けようとする精神こそ、その人間をいつまでも励まし元気づける。
困難な状況に追い込まれたとき、人間にはおおむね3つの選択肢があります。「1.立ち向かう 2.逃げる 3.助けを求める」ですね。どれを選択するのが正解かは状況によりけりですが、自分を強くする選択は1番しかあり得ないでしょう。困難に打ち勝つか、あるいは敗北の中から学びとるかせずに、成長はありません。
ただ、もっとも恐ろしいことは、逃げることや他人を頼るという選択があたり前になってしまうことです。そうなると、いつまで経っても自分を成長させるチャンスを得ることができなくなります。そしてさらには、自分こそが自分を助けられる唯一の存在であるということを忘れ、自信を喪失しまうでしょう。
・人間は、読書ではなく労働によって自己を完成させる。つまり、人間を向上させるのは文学ではなく生活であり、学問ではなく行動であり、そして伝記ではなくその人の人間性なのである。
まず、誤解しないでいただきたいのは、実りある人生に読書は不可欠だ、ということです。上記の言葉は、なにも読書を否定しているわけではありません。読書をしていることを前提にして、さらに、そこで学んだことを行動に移してはじめて意味があるという理解です。
読書の中で学びを完結させてはいけません。むしろ、もっと言えば、学びが完結することなどあり得ないのです。読書をして学び、行動に移して学び、成功や失敗からも学び、また新たな読書に出会う。過去の読書から新たな知見を得る。そして、自分がアウトプットしたことは、後世の学びへと受け継がれていきます。
・自らの富を否定し、自らの力のみを信頼できる人間だけが、自分の水桶から水を飲み、自分のパンを食べる方法を学ぶ。
「お金があればそれでいい」。果たして本当にそうでしょうか。否、実例をあげればキリがありませんが、大金を扱えるだけの器量がなければお金はただの毒となってしまいます。それどころか、簡単に人間を破滅させる力さえあると言えるでしょう。
自分ならうまく扱えるなどと思うのは傲慢です。自分のスキルをもってして得たお金じゃなければ、絶対に身に付きません。そんなお金より、不自由な生活や困難な現状の方がよっぽど尊い。なぜなら、それが働く理由になるから。自分の力を磨く勤勉さにつながるから。そしてなにより、自然に人々に貢献できるからです。
・真にすぐれた人間は、他人の評価などにあまり重きを置かない。自分の本文を誠心誠意果たして良心が満足すれば、それが彼らにとっては無上の喜びとなるのだ。
生きることは、究極の自己満足なのかもしれません。結局のところ、やっぱり自分が一番かわいい。大切。他人よりも特別扱いされるべき存在だと感じている。でも、それでいいではないですか。みんながみんな、他人のことばかり考えても世の中はうまくまわりません。
ただ、それだけ自分を大切に思うのなら、他人の評価など気にしてはいけません。それより何より、自分が行っている自分の仕事こそ、最大の喜びの源と認識すべきです。自分を特別視するということは、他人もまた他人自身のことを特別視していると理解することに他なりません。満足は自己内で完結させるべきなのです。
・ひとたび目標が定まったら、あとは勝利か死のいずれかしかない――そう断じ切る決意が大切なのだ。
人は、生き続けるかぎり少しずつ、しかし確実に死に向かっています。そのことは誰にも否定できません。生きれば生きるほど、死に近づいていく。努力をする、勤勉に生きる、誰かを愛する。そういった素晴らしい活動のすべてが、やがては死によって完結することを理解しなければなりません。
しかし、死は、それまで積み上げてきたものが消えることではありません。自分はいなくなっても、自分がしてきたことは残り続ける。ならば、人生の目標に対して、たとえ勝利か死しかなくても、そうそう悲観すべきではないと理解できるでしょう。もっとも避けるべきなのは、そこから逃げてしまうことなのです。
まとめ
・自分の問題を究極的に解決できるのは自分だけ
・読書は学びの入り口でしかない
・富は消えるが、スキルは消えない
・本当の満足は、評価ではなく、仕事そのものにある
・人生には勝利か死しかない。だから楽しい