「書いて生きる」を追求する!書き続けるために捨てるべき悪習慣とは

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 文章を書くことが好きな人の中には、「文章を書いて生きていきたい」と思う人もいるでしょう。中には「文章を書くことを生業としたい」「作家として生きていきたい」などと考えている人もいるかもしれません。

 現代では、必ずしもそのような願望を抱くことが、夢物語ではなくなりつつあります。それこそ、好きな文章を書いて生きていく方法がたくさんあるからです。その点、「書いて生きる」を追求することは、決して非現実なことではないのです。

 ただ、誰もが「書いて生きる」を実現できるとは限りません。なぜならどんな仕事でも、自分の我を通すには、他人よりもはるかに秀でた能力が必要だからです。それがなければ、厳しい競争を勝ち抜くことはできません。

 もっとも、その場合の能力とは、必ずしも“才能”を意味しません。「自分には才能がないから……」とあきらめてしまうのは、単に情熱が薄いか、あるいは努力不足の自分を正当化している無意味な行為です。誰の得にもなりません。

 「書いて生きていく」ことは、一見すると他人との戦いに思えますが、結局のところ自分との戦いです。すぐにあきらめてしまう人に道は拓けません。自分を信じ、それが天職なのだと思えなければ、続けていくことはできないでしょう。

 裏を返すと、自分で自分を信じられる人であれば、書いて生きていくことは可能です。では、どうすれば自分で自分を信じられるようになるのでしょうか。自信を積み上げていく方法について探っていきましょう。

■文章を書いて生きていく方法

 冒頭で、文章を書いて生きていく方法はたくさんあると述べました。たとえば、「作家として活動する」「ライターになる」「編集者になる」「記者になる」「ブロガーとして活動する」などは、すべて書いて生きていく方法です。

 いずれにしても、自分が手掛けた文章が何らかの価値をもち、それが結果的に商業的な対価を生むのであれば、事業として成り立ちます。一方で、いくら志高く活動していても、書いたものがお金を生まなければ生活はできません。

 このように、文章を書いて生きていくことを考えたとき、「どのようにして対価を得るか」ということは避けて通れません。そのとき人は、「書きたいもの」と「書くべきもの」の間で苦しみ、もがき、悩むことになります。

 一口に「文章を書く」と言っても、その方向性はさまざまです。誰に向けて、どのような文章を、どのような長さで、どのくらいのペースで書きたいのかは、人によって異なります。ただ、自分の意向のみを押し通すことはできません。

 どの媒体で書いていても「読者」が存在しています。文筆家は読者がいてこそ成り立つのであり、読者に届くまで自分以外の目(編集者など)が入ることも少なくありません。それを忘れてはならないのです。

 そう考えると、文章を書いて生きていく方法とは、単純に「何になりたいか」なのではなく、「どう生きていくか」の問題であり、かつ自分で生き方を決めた以上、くだらないエゴを黙らせるだけの努力は必要不可欠と言えるのです。

■書き続けるには「苦痛」も「苦悩」もある

 文筆家がぶつかる壁に、「書きたいもの」と「そうでないもの」という意識があります。人にはそれぞれ趣味嗜好があり、ただ文章を書くと言っても、「自分が書きたいものを書く」のとそうでないのでは、同じ執筆でも意味が異なります。

 最初のうちは「文章を書ければいい」と考えていた人も、さまざまな文章を書いていく中で、「これは自分が書きたい文章ではない」と思うことがあるでしょう。書くことに慣れ、当たり前になったとき、次の望みが出てきます。

 とくに、文章が書きたいと思って文筆家になった人の中には、自分が書くものにこだわりがあるケースも多く、そこで「求められるもの」と「書きたいもの」の葛藤に悩むこととなります。その過程で、自信を喪失してしまうこともあるでしょう。

 「こんなものを書くために文筆家になったのではない!」と思いながら文章を書いていると、自分を苦しめることとなり、また日々の活動を正当化できなくなり、やがて書くことが苦痛でしかなくなります。

 ただ、自分がやりたくて始めたことであるだけに、内面の一貫性や、途中で投げ出すことへの弱さ、さらには「何をして生きていくのか」という苦悶があり、これらがあることで、やめる人もいれば続ける人もいます。

 途中で書くことをやめるのも、また書き続けるのも、その人の選択次第です。どちらが優れているということではありません。人生は選択の連続であり、そしてその選択は、自分自身でしなければなりません。

 大切なのは、自分がした選択に責任をもつということ。文章を書いて生きていくには、苦痛や苦悩があることは最初からわかっていたはずです。それでも続けるのか。やめるなら、やめるだけの何かがあるのか。

 そうした問いに立ち向かっていかなければならないのも、文筆家の宿命です。どのような選択をするのでも、自ら決めたことを公開したり恨んだりしないような、それだけの意志と気持ちをもたなければなりません。

■自信を養う方法とは

 辛いとき、苦しいときに支えてくれるものは、こと孤独な戦いを強いられる文筆家の場合、自分しかいません。もちろん、周囲の支えはありがたいのですが、最後の最後に自分を支えるのは自分自身です。

 そのために必要なのが自信なのですが、確固たる自信がない人は、容易に方向性を曲げてしまいます。方向性を曲げ、信念を曲げ、前を向き続けられないからこそ、何も積み重ねることができません。それでは虚しいだけです。

 では、どうすれば自分に自信をもつことができるのでしょうか。答えはとてもシンプルです。それは「続けていくこと」。続けていくこと、乗り越えていくこと、そして積み重ねていくことによってはじめて、強固な自信が養われます。

 自信がない人は、何かの活動を続けていない人です。それは「書く」などの具体的な行為だけにとどまらず、自分が信じてきたもの、つまり信念に沿った行動を続けていないことを意味します。続けていない人に、自信は養われません。

 なぜなら自信というのは、自分自身への信頼であり、信頼は行為の蓄積によってのみ培われるものだからです。いくら頭の中で考えていても、それを行動に落とし込まなければ、自信が培われることはありません。

 自分に自信がない人ほど、頭でっかちになりすぎている傾向があります。しかし行動しなければ、失敗もなく、また失敗がなければ学びや改善もありません。何より、体感としての行為の蓄積が得られないのです。

 こと日本人は恥を嫌う傾向がありますが、たとえ恥をかいてでも、失敗をしてそこから学び、次に生かしている人ほど成長します。何より、蓄積された行動が自信となって積み上がり、少しずつ強くなれるのです。

 行動するのには勇気がいりますが、最初から成功を目指すのではなく、「失敗してもともと」と思っていれば、怖さはやわらぎます。どれほど立派な人も、過去には大きな失敗をしているものです。そしてその積み重ねで、自信を形成しています。

 思考ではなく、行動によってのみ自信が養われるのであれば、勇気をもって行動するしかありません。「失敗してもいい」という気持ちをもちつつ、むしろ「失敗から学んで改善しよう」という姿勢で、行動することが大切です。

■書いて生きるために排除するべき5つの悪習慣

 では、書いて生きていきたいと考える人にとって、自信につながる行為とは何でしょうか。それは「書くこと」に他なりません。ひたすら書いていくこと、書いていくことだけが、文筆家の自信になります。

 裏を返すと、「書くこと以外をしない」をいかに徹底できるかが大事です。書いている時間を増やすには、書いていない時間を減らすしかありません。そのためには、書くこと以外をしない習慣が不可欠です。

 ただ現代には、書くことを阻害するようなものがたくさんあります。それは「誘惑」と言い換えてもいいのですが、ちょっと周囲を見渡すだけで、書くことから注意を逸らすようなものが無数にあると気づくはずです。

 それらすべてを「悪習慣」ととらえ、書くことにつながることのみ、選択的に取り入れること。それができるかどうかによって、生涯にわたって書くことを追求できるかどうかが左右されます。具体的には、次のような行為が挙げられます。

1.テレビをみる

 文筆家の情報収集(取材)は、主に文字情報によって行われます。書籍や新聞・雑誌はもちろん、人から話を聞くインタビューも、後ほど文字起こしをして文章化し、そのうえで執筆に役立てていきます。そのため、文字情報が基本となります。

 テレビ番組や動画から情報が得られることもありますが、それらには視聴を継続させるための仕組みが盛り込まれており、それらを排除しながら情報収集するのは容易ではありません。その点、文字情報よりも扱いにくく、極力、見ないほうが無難です。

2.目的のないネットサーフィン

 同様に、目的のないネットサーフィンも避けるべきです。インターネット上には、テレビなどと同じく、人間の興味を引きつけるさまざまな工夫がなされています。それらに引っかかると、時間がどんどん奪われてしまうのです。

 もちろん、公式発表や統計情報など、ネット上には活用できる情報も含まれています。それらを収集するための閲覧はいいのですが、目的もなく見ていると、それだけ執筆の時間が削られることを自覚するべきでしょう。

3.不規則な生活

 不規則な生活は、執筆の妨げとなります。執筆というのは、短期的な行為ではなく、中長期的な継続を軸とした行為です。そのため、生活が不規則になってしまうと、ペースが乱れ、生産性が低下します。

 そこで、不規則な生活につながる行為は、極力、排除するべきです。たとえば、酒を呑んだり深夜まで遊んだりなどの行為は、翌日に響くため、すべきではありません。また、寝る時間や起きる時間を決めない生活も避けるべきでしょう。

4.不健康な生活

 昔ながらの作家は、無頼であったり不摂生であったりと、健康的な生活からは程遠いイメージがあります。ただ、それらはあくまでもイメージであり、またすでに過去のものとなりつつあります。やはり、体力がいる文筆業は、健康できなければできません。

 この場合の健康には、肉体的な健康だけでなく精神的な健康も含みます。そのため食事、運動、睡眠などのバランスを整えつつ、健康に配慮して気力と体力を養っていることが、長時間の執筆に耐えられる人間を育てます。

5.執筆に適していない環境

 執筆に適していない環境も避けるべきです。たとえば、「騒音が激しい」「明るすぎる(暗すぎる)」などはもちろん、古いパソコンを使っているために「動作が遅い」「立ち上がりに時間がかかる」なども改善するべきです。

 より良い執筆環境を整えるための出費は、「投資」と判断し、出し惜しみしないことが大切です。どんな環境でも書けることは大事ですが、余計なストレスを抱え込まないよう、可能な範囲で投資していきましょう。

■自分を律するためにできること

 このように、書くことにとって悪習慣となる行為を排除した生活は、ある意味で“修行僧”のようなものかもしれません。ただ、多かれ少なかれ「職人」、とくに「達人」と呼ばれている人々は、こうした生活をおくっているのではないでしょうか。

 その裏側には、彼らが生まれてきた意味、つまりミッション(使命)に対する真摯さがあります。自分が何のために生まれてきたのかを考え、掘り下げ、それを強く自覚しているからこそ、やるべきことに真剣に取り組んでいます。

 その真剣さは、単に内面のものだけでなく、行為として外にも表れます。不規則な生活を是正したり、健康的な生活をおくったりなどはまさに、その表れではないでしょうか。そこには「書いて生きる」という明確な目的があるのです。

 何ら思想や信念がないところから「とにかく健康的になろう」と思うのは難しいです。水が低きに流れるように、人間もまた甘い誘惑に流されてしまうものです。自分の使命を自覚していなければ、容易に楽な方に向かってしまいます。

 そのような自分を律することができるのは、ひとえに、自分が生まれてきた意味を知り、その意味を信じて行動できる人だけではないでしょうか。「書いて生きる」を追求するとはつまり、そういうことなのです。

■まとめ

・書いて生きるにはさまざまな障害がある
・執筆を邪魔する5つの悪習慣は排除するべし
 1.テレビをみる
 2.目的のないネットサーフィン
 3.不規則な生活
 4.不健康な生活
 5.執筆に適していない環境
・「達人」の生き方を見習おう

 「書いて生きる」ために、できることはたくさんあります。まずは、できることから始めていきましょう。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク
スポンサーリンク

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Comments links could be nofollow free.