あなたはピカソの絵をどう思いますか? きっと、評価する人が多いと思います。なぜなら、すでに世界中で高い評価を得ているから。しかし、もしピカソの絵を誰も評価していなかったら。あるいは、評価される前に見たとしたら。あなたは、それを正当に評価できるでしょうか?
そう。多くの人は、自分の専門外のことについて、それほど自信をもっていないものなのです。それなのに、クリエイターが納品した作品を、規定上の問題がないのに、担当者が「やり直してください」と言うのはなぜでしょうか。専門家でもないに関わらず。
それは、クリエイターがちゃんと説明しないからなのです。
会議で発言しないひとびと
「こんなことを言ったらバカにされるかもしれない」。会議の席上、そのように考えて、発言しない人がいます。しかしこうした態度は、欧米では「会議に参加していない」ことと同義とみなされます。もっとも、気持ちはわかりますよね。だれしも、恥をかきたくないですから。
このように、人間には、とくに日本人には強い羞恥心があります。だからこそ、専門外のことについては、あるいとはとくに自信がある事柄以外については、なるべく発言を控えたい。そうすれば、「事なきを得られる」かもしれません。少なくとも、恥をかかないですむ。
結局、素人は権威にすがるしかない
冒頭のピカソの絵に関しても同様です。美術館に行って「なんだこの下手くそな絵は!」なんて言えば、それこそ「何も知らないんだな」「素人が来るなよ」と、揶揄されてしまうでしょう。とんだ赤っ恥です。ただ、思ったことをそのまま言っただけなのに……。
やっぱり、専門外のことについては、黙っているに限ります。でも一方で、自分が発注した仕事であれば、少しは意見できるかもしれないとも考えている。専門家ではないけれど、お金を払っているんだし、何度かやり直させたほうがいいものができるかもしれないから、と。
しかし、そこで専門家にこう言われたらどうでしょう。「この作品の意義、おわかりになりませんか?」。
反論(説明)しないのはただの怠慢
結局のところ、納品したものに対して、クリエイターがその意図を説明をしないのは、ただの怠慢だと思います。言われたとおりにやり直せばいいという話ではないのです。アリストテレスが示したように、プロである以上、相手に「無知の知」を教えてあげなければならないのです。
「この作品のこの部分がこうなっているのは、このような歴史があり、技術があり、目的と顧客ニーズから考えて、もっとも最善なのはこのテクニックをこう応用したほうがいいと思ったためです。過去の作品でも、この部分をこのようにして、これだけの成果をあげていますし……」。
そのように説明されたら、相手はどう思うでしょうか。「なるほど。そういった意図があるなら問題ありません」。もちろん、手を抜いて製作した作品について、そのように反論(説明)するのはただの詭弁ですが、真摯に製作しているのであれば、その意図を正しく伝えるべきでしょう。
クリエイターに弁論術が必要だと思う3つの理由
そこで活用できるのが「弁論術」です。弁論術とは、簡単に言うと相手を説得させるためのテクニックですが、ここでは、「正当に評価してもらうための材料を適切に提供する方法」ぐらいに理解してもらえば十分です。
クリエイターに弁論術が必定だと思う理由は、次の3つです。
・作品の善し悪しを判断する相手の多くは“一般人”
相手はプロではありません。その多くはふつうのビジネスマンであり、もしかしたら仲介役にしかすぎない人もいるかもしれません。そういった方々に、作品についての正しい理解ができるかというと、実に怪しい。というより、できなくて当然です。
・容易いに烏合する大衆心理を理解せよ
おそらく、大抵の担当者が求めているのは「権威性」だと思います。つまり、「その作品が優れているという根拠がほしい」ということ。それをもって、自分が納得できれば、それでいいのです。作品の正当な評価ができるようになりたい、なんて、ハナから思っていません。
・ホンモノの価値を判断できるのは一部のプロと変人だけ
それこそ、クリエイティブな作品を、独断で判断できるのは、一部のプロだけです。あとは、先見の明がある変人(と扱われてしまう)ぐらいでしょうか。少なくとも、ビジネス視点から考えれば、自らの判断軸などという危険な根拠にすがる人はいないと思います。
企業担当者は上司を説得しなければならない事情がある
企業担当者は、最終的に、上司を説得しなければなりません。また、相手が個人であったり、経営者であれば、同様に顧客を説得(買ってもらう)しなければならないでしょう。だから、そのための営業トークとなる、材料がほしいのです。それがないなら、あるいはわからないから、「もう一度、やり直してもらえませんか?」と言うしかない現状がある。
そこで、「はい、わかりました。やり直します」と言ってしまうクリエイターは、とっても素直だとは思いますが、ビジネス上のやりとりという軸からはちょっとズレているように感じます。
目的は「やり直し」ではなく、コンセンサスを得ること
佐野氏が制作した東京オリンピックのエンブレムは、日本国民がただ気に入らないからボツになったんじゃないですよね。「根拠となる問題があった」から、取り消しになったはずです。それを佐野氏が「じゃあ、やり直しますよ」と言って、新しいのをつくることは許されません。
そう考えると、“規定上問題がない”作品について、発注者側がやり直しを命じることも、その対応を是認するクリエイターも、やっぱり何かが違う。また、そういった認識の不一致を解消するために、作品の根拠を説明できないクリエイターも、それはそれで問題だと思うのです。
朝日新聞出版 (2015-05-20)
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