ある人が「デモなんて意味がない」というような趣旨の発言をしていたので、ちょっと考察を。たしかに、ボクもそのように考えていた時期がありました。「デモ行進をしてなんの意味があるんだ」、と。でも、今ではかなり考え方が変わりました。とくに多様性を受け入れるという観点から。
デモは暇人がやるものなのか?
「デモなんて暇人がやるもの」「デモをしても政治は動かない」。デモに対する批判はさまざまです。そりゃね、大人数で街を練り歩くだけで社会が変わるなら、それに越したことはないわけで。平和で、安全で、それでいて社会が(一般的には)大多数の声を反映して動くようになる。
あれ、それだけで十分メリットあるじゃん。そこには武力も暴力もないし、血も流れないし。ある意味では無血革命の可能性も秘めているわけだ。なにより、テレビの前で悶々としているよりも、よっぽど行動的で生産的。そこにデモの意義があるわけです。
いちばん良くないのは、「どうせ変わらないから何もしない」ということ。それでは思考を停止させているのと同じですよね。何も変わらないかもしれないけど、変わる可能性が少しでもあるなら自発的に行動したいと思うのは、人間として当然のことだと思います。自然な感情。
ボクの場合は、鶴見俊輔さんや小田実さん、あるいは『インド日記―牛とコンピュータの国から 』や『社会を変えるには 』の著者である小熊英二さんの影響で、でもに対する考え方が変わりました。自ら参加することはありませんが、活動自体を尊重していますし、反対するということはありません。
たぶん、現代の日本人がデモ活動に慣れていないんでしょうね。ずっと平和だったから。ただ、平和が脅かされそうなときには、やっぱり行動しなければダメですよ。傍観者が増え続けることによって、政治は暴走するわけですから。だからむしろ肯定派です。
いずれにしても、他人のやることを、その本質を見極めずに批判するのは良くないことです。もしデモという行為自体が認められなくなれば、それこそ民主主義ではなくなってしまいます。そして、無理解の上で批判する社会も同様に……。気をつけたいと思います。