夏目漱石がいう「自己本位」の本質とは

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 「中年の迷い」という言葉があります。孔子が『論語』で示したのは「四十にして惑わず(不惑)」という言葉でしたが、あにはからんや、40にしても迷わないどころか、むしろ中年ど真ん中の40になって迷いまくることもあるのです。

 事実、私にも迷い続けた経験があります。20代から30代半ばへと駆け抜けてきたのとは異なり、40手前になって「自分はこのままでいいのか」と考えるようになったのです。そしてその悶々とした思いが、やがて不安へとつながっていったのです。

 その漠然とした、名状しがたい不安のような、迷いのような、動悸を伴う嫌な感じを抱えたまま、私はその正体を探すべく本を読み漁ってみました。そのときに、荻原魚雷さんの『中年の本棚』に出会い、「これは中年特有の悩みだ」と気づいたのです。

 中年の本棚で紹介されている書籍を読みながら、私はこの迷いが消えないかと思っていたのですが、その過程でふと、夏目漱石の「自己本位」という言葉を思い出しました。なぜなら彼がロンドンで感じた陰鬱さも、中年の悩みに近いものだと思ったからです。

 夏目漱石が自己本位という言葉を使っている『私の個人主義』という小論は、学習院の生徒を前に講演した内容をまとめているため、短いながらに読みやすく、かつ示唆に富んでいます。そのため私は、何度も読んでおり、記憶の底に定着していました。

 とくに「自己本位」という言葉は、読むたびに、自分の中で少しずつかたちを変えながら、しかし非常に大事な言葉であると認識し続けてきました。もしかしたらそこに、中年の悩みを解消させる何かがあると思ったのです。

■夏目漱石のいう「自己本位」とは

 では、夏目漱石の自己本位という言葉は、どのような文脈で出てきたのでしょうか。『私の個人主義』から、その流れをたどってみましょう。

 大学を卒業して教師になり、その後ロンドンに留学した夏目漱石の内には、漠然とした不安がありました。その不安の正体がわからないまま、ロンドンで陰鬱とした日々をおくっていたのです。その背後には、文学に対する西洋の思想がありました。

私はできるだけ骨を折って何かしようと努力しました。しかしどんな本を読んでも依然として自分は囊の中から出る訳には参りません。この囊を突き破る錐は倫敦中探して歩いても見つかりそうになかったのです。私は下宿の一間の中で考えました。つまらないと思いました。いくら書物を読んでも腹の足にはならないのだと諦めました。同時に何のために書物を読むのか自分でもその意味が解らなくなって来ました。

 ロンドンに渡って何かを成し遂げようとした漱石は、依然として、自分が靄の中にいるのを感じていました。その靄から抜け出るために、いろいろな書物を読んでみるのですが、一向に靄は晴れてこない。そのとき、漱石はあることに気づいたのです。

この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念を基本的に自力で作り上げるよりほかに、私を救う途はないのだと悟ったのです。今までは全く他人本位で、根のない萍のように、そこいらをでたらめに漂っていたから、駄目であったという事にようやく気がついたのです。

 ここで漱石は「他人本位」という言葉を用いて、西洋人の意見や評価を鵜呑みにする日本の文壇(漱石自身を含む)に異議を唱えます。それはまさに、「手もなく孔雀の羽根を身に着けて威張っているようなもの」だと言うのです。

たとえば西洋人がこれは立派な詩だとか、口調が大変好いとか云っても、それはその西洋人の見るところで、私の参考にならん事はないにしても、私にそう思えなければ、とうてい受売をすべきはずのものではないのです。私が独立した一個の日本人であって、けっして英国人の奴婢でない以上はこれくらいの見識は国民の一員として具えていなければならない上に、世界に共通な正直という徳義を重んずる点から見ても、私は私の意見を曲げてはならないのです。

 西洋人の意見や評価を参考にはするものの、それを鵜呑みにして、あたかも自分の意見のように振る舞うことはしない。漱石はここで、そう決意するわけです。ここに、漱石のいう「自己本位」の根があります。

私はそれから文芸に対する自己の立脚地を堅めるため、堅めるというより新らしく建設するために、文芸とは全く縁のない書物を読み始めました。一口でいうと、自己本位という四字をようやく考えて、その自己本位を立証するために、科学的な研究やら哲学的の思索に耽り出したのであります。

(中略)

私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。彼ら何者ぞやと気概が出ました。今まで茫然と自失していた私に、ここに立って、この道からいこう行かねばならないと指図をしてくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります。

 他人本位から抜け出し、自己本位を手に入れた漱石。この文章からも、この概念を手に入れた漱石の喜びが感じられます。文学の研究は作として不満足のままになってしまいましたが、自己本位という自らを規定する思想は続いていきます。

自己本位というその時得た私の考は依然としてつづいています。否年を経るに従ってだんだん強くなります。著作的事業としては、失敗に終わりましたけれども、その時確かに握った自己が主で、他は賓であるという信念は、今日の私に非常の自信と安心を与えてくれました。私はその引続きとして、今日なお生きていられるような心持がします。

■自己本位によって得られる強固な自信

 このように夏目漱石は、悩みや迷いの中から、自己本位という四字によって立ち直っていきました。その前後で神経衰弱に陥っていたものの、後に作家として大成し、こうして力強く講演しているところを見ると、その思考がいかに大事だったかわかります。

 また自己本位というのは、漱石自身の経験を参考にするまでもなく、考え方の方向性からも、中年の悩みに適応できるのは明白です。まさに、漱石が経たような煩悶は、一定の人生経験と社会的活動の蓄積がある、中年期にこそ起きるのですから。

 そのうえで、漱石は聴衆(学生)に向かって次のようなアドバイスをしています。

私の経験したような煩悶があなたがたの場合にもしばしば起るに違いないと私は鑑定しているのですが、どうでしょうか。もしそうだとすると、何かに打ち当るまで行くという事は、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事としても、あるいは十年二十年の仕事としても、必要じゃないでしょうか。

 ここでまさに、学問、教育、仕事という側面から、漱石が経験してきたような煩悶の乗り越え方が参考になるとしています。「何かに打ち当るまで行く」という言葉のとおり、自分で突き進んでいくことの大切さを説いています。

ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事ができるのでしょう。容易に打ち壊されない自信が、その叫び声とともにむくむく首を擡げて来るのではありませんか。すでにその域に達している方も多数のうちにはあるかも知れませんが、もし途中で霧か靄のために懊悩している方があるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘当てるところまで行ったらよろしかろうと思うのです。

 ここで自己本位という考え方は、「掘り当てるべき対象」に変わっています。それはすなわち、自分が「これだ!」と思えるような何か、それこそ自分がやるべきこと、使命や天命のようなものかもしれません。それを見つけるまで掘り進んでいくこと。

 漱石が神経衰弱に陥るまで悩んだこと、苦しんだこと、懊悩したこと、そしてその先にある強固な自信につながる発想を得たことは、私たちにとって大きな財産となります。私たちは、漱石の得たものを受け継ぎながら、個々に掘り進んでいくべきだと思います。

■まとめ

・夏目漱石にも「(中年の)迷い」があった。

・迷いの中から生じたのが「自己本位」という概念。

・自己本位は、他人ではなく、自分の意見や評価を土台にするということ。

・使命や天命を見つけるまで掘り進めること。

 強固な自信を身につけるために、それぞれの「自己本位」を掘り下げていきましょう!

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