風化する自由

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 先日、「災後と復興のあり方について」という記事を書いた。そこで、追記的に、「風化の意義」についても言及しておきたい。

 私は、事件や事故が風化することを、一方的に悪いことだとは思わない。もちろん、支援の手が自然と減少していくのは問題だが、「風化させられる自由」もまた、必要だと考えるからだ。震災によって傷を負った方々。物理的にも、精神的にも。その傷は、風化によって癒されることもあるのだ。

 重要なのは、風化するタイミングではなかろうか。事故や事件を目の当たりにし、メディアが報じ、胸に刻みこむ。そのなかで、時間をかけて「風化」する。思い出となる。それなら、風化の意義はあるように思う。

 思い出とは、その性質からして、何らかのタイミングで“思い出される”ものだ。さまざまな記憶とごちゃまぜになり、埋没し、二度と掘り起こされないものではない。胸に刻まれ、あるきっかけを経て、ふたたび蘇ることがある。それも1度や2度ではなく。

 それならば、風化もまた意義があるだろう。思い出という貯蔵庫は、感情的なものを洗い流し、私たちに教訓を与えてくれる。それを研究する人もいれば、次の世代に生かそうとする人もいる。震災はあった。でも、それは過去のことなのだ、と。

 問題なのは、「まさか風化していませんよね?」と、軽々しく言ってしまうことだ。忘れないでいる、思い出として記憶しておくことと、“無理やり思い出させる”のとでは、大きく性質が異なる。思い出したくないと思っている人がいることも、忘れないようにしたい。

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