災後と復興のあり方について~震災後5年経過にあたって~

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 2016年3月11日で5年を迎える。東日本大震災からの復興はいまだ道半ばであるが、早くも被害への「風化」が懸念されているようだ。被災者の方にとっては「昨日のことのよう」でも、遠くの県あるいは遠くの国の人にとっては、あくまでも「5年前の出来事」なのである。

 ただ、共通の認識として、どこかで線引をしておかなければならないだろう。いつまでも「災中」を意識しているかぎり、本当の「災後」はやってこないからだ。では、いつからが災後と言えるだろうか。ラッサールは次のような言葉を残している。

“新しき時代の開幕はつねに既存の現実自体が如何なるものであったかについての意識を闘い取ることの裡に存する”

 つまり、「なぜ災害は起きたのか」についてを明らかにし、その事実をうけて、改めてこれからを語ることによってはじめて災後がやってくると言えよう。それまでは、どれだけ時間が経過しても、日本全体にとっても被災地にとっても「災中」なのである。

 この場合、復興の進度は問われない。当時の状況が明らかになり、それをうけて今後の方針が明確化されているのであれば、すなわち災後は進行していることになる。復興が遅れているのもまた、「災後の中で」遅れているということだ。

 すなわち、日本が災後にあるのかどうかということと、復興支援の進捗状況(とくに遅れていることの問題)は、別の次元で考えなければならない。前者は「当時の状況分析」の問題、つまり学者の課題であり、後者は「支援状況」の問題、つまり政治の課題だからだ。

 そのうえで、私たちにできることはなんだろうか。やはり、事あるごとに、「震災があったという事実」を意識することだろう。ただただ、忘れない。たとえ直接的な支援はできなくとも、災後のあり方として、妥当な姿勢だと思う。

 哲学者の鶴見俊輔は、戦後のあり方について次のように述べている。

“「原爆に撃たれた我ら」という考え方を強く持つ。そこからやる。戦中のさまざまな記憶を保ち続ける。そこから。それが未来だと思いますね。”

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