たぶん、どんなことでもそうなんだろうけど、大きな功績や結果を残している人って、必ずしもそのゴールがはじめから見えていたわけじゃないと思う。あんまり好きじゃないけど(サッカー自体は大好き)、日本代表のホンダにしてみたって、海外でプレーしたり日本代表になったりすることは、必ずしも予見できていなかったのではないか。
小学校の日誌に書いていたとかいう、まことしやかな噂もあるが、成功していた人すべてに小学校の頃の日誌を見せてもらえばわかる。ただの後付じゃ意味が無い。
いわく、成功する人は早起きである。いわく、金持ちはケチである。いわく、日記に夢を書けば実現する。すべて方向性が逆だ。早起きの人のなかに、たまたま成功者がいただけ。ケチな人のなかに、たまたま金持ちがいただけ。日記も同じ。どうして人間はつい法則めいたものを信奉してしまう癖があるようだが、法則なんてないということが唯一の法則だと思っていれば間違いないのではないか。いずれにしても、ストーリーとして楽しむ程度のとどめ、自分の仕事をするのが一番成功に近づけるはずだ。
そう考えると、大きな功績や結果など、はじめから具体的にイメージする必要なんかない。あるいは、仮説というのはその程度のレベルで十分なのではないか。成功法則を知るために、山ほど成功本を読みあさっていたら、いつの間にか寿命が近づいていたなどという冗談めいた話も、それぐらいラフな発想でいればただの与太話ですむだろう。問題なのは、真面目と勤勉が共存している日本人にとっては、あながちそうした話も笑い事ではすまないはずだ。つまり、行動を先延ばしにしているだけ。
そこにきて、重要なのが「いかに楽しんで取り組めるのか」ということ。それがたまたま、夢を追いかける過程そのものにあるとするならそれがベストだが、そうでない場合には、イメージすること、紙に書くことも大事だろう。だって、たしかに、夢を勝ち取る自分の姿を想像するのは少なくとも楽しいはずだから。そこまでの道程がいくら辛くても、あるいはガマンできるかもしれない。そして、ほとんどの社会的な営みは、それほど楽しくはないのだ。自分を騙して能動的に楽しむのが関の山だろう。
結局のところ、最初の一歩をいかに早く踏み出せるか、ということだけ。大事なことは。準備不足だとか、勉強が足りないとか、人脈形成過程だとか、いつまで経っても言い訳ばかりして逃げまわっていれば、人生の貴重な時間はどんどん削れていく。一方、カメはと言えば、少しずつ頂上に近づいえている。ライバルはヒットを着実に量産している。国会議員は当選回数を重ねている。べつに総理を目指す必要などない。そのためのイメージも不要。
だから、「本一冊書けるなんてスゴイ!」という感想は、間違っている。いや、たしかに本一冊の文量(10万~15万文字程度)を書けるのはスゴイことなんだけど、なにもない白紙に向かってひとりもくもくとそれだけの文章を書いたわけではないのだ。恊働者の存在を無視したとしても、取材や資料集め、企画、構成、見出し、小見出し、そして日々コツコツと執筆。そうやって、一定の期間を経て一冊の本を完成させるだけの文量が書けるのだ。
たまに「実績がないから……」となげいてしまうことがあるんだけど、それは大いに間違っている。だって、本を書いたことがないのなら、今スグ書き始めればいい。最初は仮説ベースで十分だ。「こんな本があれば売れるのではないか?」。そして、検証のためのデータを集め、おおむね正しいとわかったのなら、見切り発車で書きだす。日々のライター業務をこなしつつも、毎日2000字ぐらいなら書けるのではなかろうか。50日で10万字である。夢物語でもなんでもない。
もっと時間をつくって、もっと筆速をあげて、もっとスラスラと書き慣れてくれば、月に1~2冊のペースも難しくない。準備の時間をのぞいても、1日1万字で10日から2週間程度。それなら、午前いっぱいでなんとかなりそうだ。そうやってコンスタントに書き上げていくことで、いつかは読者の心に響く作品も書けるのではなかろうか。書き上げた作品は、必ずしも出版社をとおすことなく、電子書籍にまとめてしまうという方法もある。無駄にならない。
現代において、自前の電子書籍を数冊書き上げていて、それを実績と認めない人はいないだろう。相当中身がお粗末であれば可能性はあるが、それにしても、少なくとも筆力はある。コンテンツは取材をとおしていくらでも得られるのだ。分業してもいい。数多くの書籍を発表することにより、ひとつひとつの利益率が大きくなくても、コンスタントに売り上げることで収益を確保する。それが、これからの出版の、ひとつのメインストリームになるとすれば、書けることは決して無駄にならない。たとえ当初から、大きな成果をイメージできていなくても。
KADOKAWA/中経出版
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