「本音を言えば叩かれる」の社会学

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本音,叩かれる

言いたいことをガマンして、周囲とソツなくわたりあっていく。日本社会というのは、良くも悪くも「本音を隠す」社会であると言えます。しかし、本音はなくなるわけではありません。

では、隠しておいた本音はどこに行ったのか。そのうちのひとつが、インターネット上だと思います。掲示板の代表である「2ちゃんねる」には、まさに本音がたくさんあります。

しかし、なぜ日本では本音が言えないのでしょうか。また、本音を言ってしまうと、どうなってしまうのでしょうか。日本における本音のあり方について、考えてみたいと思います。

ネット上のゆがんだ正義感

個別の事件について言及することはさけますが、なんらかの不祥事が発生した場合、ネット上ではいわゆる「たたき」が発生します。そこには、正義感とは違った感情が発生しています。

ひがみ、ねたみ、そねみ。そういったマイナスの感情が、「やっぱりそうだと思ったよ」のはけ口になっているのがネットだと思います。だからこそ、不祥事で盛り上がるシーンがある。

ふだんは、口にしないようなあからさまな正義感をさらけ出すひとについても、違和感を感じざるを得ません。ネット上のゆがんだ正義感が、ひとり歩きしているように思えるのです。

ふわっとした代弁者

とくに日本人の場合、ふだんの生活の中で本音を隠して生活しています。その理由は、周囲との関係性を良好に保たなければならないから。いわゆる「村八分」はさけるべきなのです。

だからこそ、周囲との関係性を考慮して、なるべく本音を隠そうとする。とくに、マイナスな印象を与えかねない言葉は、できるだけ言わないようにする。結果、うっぷんがたまります。

そんなとき、インターネット上で本音をぶちまけているひとに対し、「よく言った!」と賛同してしまうのも、あながち無理なことではないでしょう。抑圧のはけ口というわけです。

「すべて社会のせい」という現実逃避

本音を言えば叩かれる。だから本音を言わないでガマンしてきた。それにも関わらず、生活は一向に好転しない。そうなると、たしかに「社会のせい」にしたくなる気持ちもわかります。

しかし、世の中は、基本的にすべて自己裁量です。本音を言えば叩かれるからと言って、言ってはいけないという法律はないのです。その結果について、責任をとればいいだけです。

少なくとも、周囲の顔色ばかり気にしていて、結果的に生活がラクにならないからと、社会のせいにするようではお話になりません。言うも言わないも、すべては自己責任なのです。

まとめ

周囲の声や評価を気にして生きていると、あまりに自分でできることが少ないと気づきます。結局のところ、他人を動かすことも、他人の評価を操作することも、できないのです。

それにも関わらず、本音を言えない社会をなげていても、仕方がありません。言うか言わないかはともかく、そういう社会に生きていると自覚し、ただ、自己責任で生きるだけ。

自分の人生に責任をもつというのは、そういった態度をとることではないでしょうか。少なくとも、他人の不祥事に罵声をあびせて喜んでいるようでは、自分の人生などないのです。

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