フリーランスの成否は「労働は尊い」という価値観から抜け出せるかどうかで決まる

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 「労働は尊い」「働くことは良いことだ」。漫然と、そのように考えている人も多いのではないでしょうか。

 では、なぜそう思うのですか? そして、本当に労働は尊いのでしょうか?

 そこに明確な答えをもっている人、ひいては「労働は尊い」ということに疑問を抱ける人こそ、これからの社会で活躍できる人と言えそうです。

 とくにフリーランスは、そのような“虚妄”とも言える価値観から抜け出せるかどうかによって、成否が決まります。

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「労働は尊い」は誰にとっての尊さなのか?

 そもそも「労働は尊い」という価値観が普及した背景には、18世紀の産業革命があります。

 産業革命による生産技術の革新やエネルギーの変革は、資本主義社会の基礎となりました。そして、大量生産・大量消費が行われる資本主義のもとでは、おなじく大量の労働者が必要となります。

 大量の労働者をより安く確保するためには、「労働は尊い」という意識を啓蒙すれば手っ取り早い。その結果、「労働は尊い」「働くことは良いことだ」という価値観が醸成されていきました。

 つまり、これらの価値観を多くの人が抱くことによって得をしているのは、働いている本人ではなく、“企業側(雇用側・資本家)”というわけです。

 もちろん、「労働は尊い」と思い込むことによって、働いている人が気持ちの部分で救われるということはあるでしょう。しかしそれでは、定期的にエサを与えられて満足している“かごの中の鳥”となんら変わりません。

仕事の本質とは

 私たちは誰しも、社会に価値を提供することによって、対価を得て、暮らしています。

 物々交換をイメージしてもらえればわかるように、野菜をつくっている人は、それを他のもの(木綿や木材など)と変えることができる。自分が生産した価値を、別の価値と交換することで生活が成り立っているわけです。

 貨幣が生まれたことで、そのようなシステムが複雑になっているものの、原則としては変わりません。社会的な動物である人間にとって、お互いに価値を生みながら支え合う仕組みは、社会の基軸となっています。

 そう考えると、日々の活動=仕事にとって大事なのは、「誰が、誰に、どのような価値を提供しているのか?」ということだとわかります。つまり、それが社会を支える仕事の本質です。

 しかし、労働の量、とくに科学的管理法をベースとした労働時間にとらわれすぎていると、仕事の本質を見失いかねません。「労働は尊い」と盲信し、勤勉を善としている限り、生産性の向上に目が向かなくても仕方ないのです。

「労働」から「価値の創出」へ

 人工知能(AI)の進化が目覚ましい昨今。これから先、単純労働を担うのは人間ではなく、ロボットです。彼らは、休むことも、文句を言うことも、人為的ミスをすることもありません。

 そのような社会において、単純労働を担う人間が不要になるのは必然でしょう。そこでは、いくら勤勉に働いても、あるいは労働時間をかせいでも、評価されません。「たくさん働いたので評価してください」というフリーランスに、仕事を任せたい人はいないのです。

 では、どうすればいいのでしょうか。

 これから先、必要となるのは“価値を生み出せる力”です。勤勉に働いたかどうかではなく、どんな価値を生み出したのか。それで評価されるのがこれからの社会です。だからこそ、私たちは価値にフォーカスしなければなりません。

 未来の働き方について考えるうえでよく言われる「クリエイティビティ」とはまさに、価値を創造する力に他なりません。それは労働から生まれるのではなく、むしろ日々の営みから培われるものではないでしょうか。

 では、そこで言うところの価値とは、具体的にどのようなものなのか。次の記事で考えていきたいと思います。

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