「バカは相手にするな」への違和感―他人を尊敬することの大切さと、他人を尊敬する方法

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尊敬

普段から「他人を尊敬すること」について、思いを馳せている人はどれほどいるだろうか。かくいう私も、ほとんど考えていなかった。考えていないというか、むしろ、「世の中に、尊敬できる相手は限られているんだろうね」とすら思っていたフシがある。

ただ、年齢とともに、人間関係の軋轢やコミュニケーション不和、さらには心がモヤモヤとするシーンが増えていくにつれて、「これは他人ではなく、自分の心的姿勢に問題があるのではないか」と思うようになってきた。

そこで考えたのが、「他人を尊敬すること」についてである。

■「尊敬」とは何か

そもそも尊敬とは、「他人の人格、思想、行為などをすぐれたものとして尊び敬うこと(『日本国語大辞典』)」と定義されている。言い換えると、相手の「スゴい!」ところに着目し、価値あるものとして大切に扱いつつ、礼を尽くすということだ。

ここで重要なのは、尊敬の前提に「スゴい!」があることである。裏を返すと、相手に対する「スゴい!」が見つからなかったり、無いと思ってしまったりしたら、尊敬の念を抱くことはできなくなる。

しかも私たちは、年齢を重ね、大人になればなるほど「スゴい!」が見つけられなくなる。「スゴい!」を見つけるのが下手になるのだ。「誰でもできるよね」「それは常識だよね」「どっかで聞いた話だなあ」などと考え、尊敬どころかむしろ蔑視してしまうことすらある。

そのうえ大人は、判断軸がパターン化しやすい。服装、表情、体型、髪型、目、肌の色や艶など、つまり「視覚情報」から相手に対する尊敬or軽蔑を瞬時に見極め、よく思考することなく断定する。レッテル貼りやステレオタイプはその典型である。

■「バカは相手にするな」は本当か

一方で、子どものようにまっさらな頭の持ち主は、何を見ても、何を聞いても、「スゴい!」が誘発される。それが尊敬の念となり、目は輝き、姿勢は前のめりになる。このような物理的・心的姿勢こそ、「相手を価値あるものとして大切に扱いつつ、礼を尽くす」ことの最たるものであろう。

念のために付言しておくと、通り一遍の礼節を尽くすだけでは、相手を尊敬していることにはならない。「尊敬」の定義は、あくまでも「他人の人格、思想、行為などをすぐれたものとして尊び敬うこと」である。礼節は、尊敬の必要条件ではあるが、十分条件ではないのだ。行き過ぎると「慇懃無礼」にすらなり兼ねない。仏作って魂入れず。

さて、「バカは軽蔑して当然だろう」と思う人もいるかもしれない。だが、本当にそれでいいのだろうか。近年では「バカを相手にするな」「アホは放っておけ」という論調も聞かれるが、そのような姿勢が他人との溝を深め、無理解や不理解、さらには断絶を生むことも多い。

「だって仕方ないじゃん」という意見もわからなくはないが、発想を変えて、それで自分が損をしているかもしれないと考えてみるとどうだろう。つまり、他人を尊敬するどころか軽蔑しまくった結果、他人から学ぶことが減り、対話が退屈になり、独善的で視野の狭い、空虚な人間になるとしたら……。人はそれを「老害」と呼ぶだろう。

(筆者も含めて)本ばかり読んでいる人には、このようなタイプが多いのではなかろうか。

■他人を尊敬する方法

前向きに考えよう。

まず、私たち“大人”は、他人を尊敬するのが下手くそであると自認したい。知識や経験が蓄積され、頭でっかちになり、他人の「スゴい!」が見えにくくなっているのだ。また、見た目が尊敬の邪魔をすることも多い。

加えて、「見えるもの」ばかりに気を取られていると、スポーツ選手や芸能人など、わかりやすいスゴさにだけ尊敬の念を向けてしまうこととなる。けれど、優秀な成績を残しているスポーツ選手が、必ずしも人格者であると誰が言った?

そこで、他人を尊敬する方法を模索したい。必要なのは次の3つである。

1.知識
2.観察力
3.想像力

知識は、尊敬の邪魔をすることもあれば、尊敬を促すこともある。ここでの知識は、相手に対する情報のことだ。人格、思想、行為、そのどれでもいい。相手のすぐれているところを知る努力をしよう。

また、よく観察することも大事である。身につけているものから、相手の趣味嗜好が読み取れることも多い。相手が好きなものを見つければ、そこに能力の片鱗が隠されていることもあろう。観察は「スゴい!」を発見する土台となる。

さらに、想像力も重要だ。相手を知り、観察し、自分にはないスキルや能力、人格、思想、行為に対して思いを馳せてみよう。「こんなスゴいところがあるのではないか」と想像してみるだけで、視点は広がる。考え方が変われば、心的姿勢も変わるだろう。

■まとめ

ここまでの話をまとめておこう。

・尊敬とは相手の「スゴい!」を見つけることから始まる
・そもそも大人は他人を尊敬するのが下手くそである
・「相手を知り」「観察し」「想像する」ことが尊敬につながる

最後にこんな造語をつくってみた。「尊敬は人の為ならず」。

「情けは人の為ならず」は、人に対して情けをかけることで、巡り巡って自分に報いが返ってくるということばである。それと同じように「尊敬は人の為ならず」を、肝に銘じておきたい(語呂は悪いけど)。

■補足

本を読むことで「自分は何でも知ってるぜ!」と思ってしまう人は、本を手放すか、あるいは読んだ本の内容を忘れることによって、他人を尊敬しやすくなるかもしれない。

私なんかも、取材のときにあえて相手の情報を入れすぎないことで、「教えて下さい!」という姿勢を保ちやすくすることがある。知っているのに知らないフリをするのは難しいので、案外、効果的である。

それに現代は、「知っている」ことがそれほど重要な時代でもないしね。

※シロクマ(熊代亨)さんの記事に多大なインスピレーション受けました。「尊敬する力」によって、「学習効率」「コミュニケーションの帰趨」「心の充足感」が左右されるという発想は、まさに目からウロコでした。
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20091117/p1

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