怪文章!?ナチスの本『わが闘争』から学べること

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怪文章怪文章とも言えるヒトラーの書籍『わが闘争』を、麻生太郎副総理の以下の発言で思い出した。   「ドイツのワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気が付かない間に変わった。あの手口を学んだらどうか」   前後の文脈から、この発言がナチス・ドイツを正当化したものではないことは明らかだ。 しかし、政治家として、あまりにも配慮に欠けた発言だと思う。   ただ、麻生氏を擁護する気もないし、当然、ナチスの行為は許されるべきではない。   もし、ヒトラーの書籍『わが闘争』から学べるものがあるとすれば、文章だけを取り出して、独自の解釈を加えるという、なんとも回りくどい方法しかあるまい。   現実に存在しているものを正しい方向に変え、学ぼうとする姿勢からは、きっと得るものがあるだろう。 そう信じて、『わが闘争』から、いくつかの文章をピックアップした。


わが闘争

『わが闘争』について

『わが闘争』の原本は、1925年に書かれた。 ヒトラーが国事犯として拘置所に収容されていたとき、彼が協力者を相手に、口述したものである。   また製本にあたっては、文法の誤りをただすだけでなく、政治的に反感を持たれると思われる用語や文章を削除・変更している。 故意の粉飾があるとも、ヒトラー研究書が明らかにしている。   そのことからもわかるように、『わが闘争』は、プロパガンダの一環だったのだ。

人を説得しうるには

説得

人を説得しうるのは、書かれたことばによるよりも、話されたことばによるものであり、 この世の偉大な運動はいずれも、偉大な文筆家にでなく、 偉大な演説家にその進展のおかげをこうむっている、ということをわたしは知っている。

  たしかに、オバマ大統領の例を考えてみても、偉大な演説家への支持は大きい。 そしてその言葉には、人を勇気づけ、励まし、希望を抱かせるチカラがある。   だた、その影には、スピーチライターという、演説の原稿を専門に書くコピーライターがいることを、忘れてはならない。 ヒトラーは、演説が得意だったために、そう述べたのだろう。   ただ、自身が出版する書籍の冒頭で「文章よりも演説」というのは、いかがなものだろうか。

歴史に学ぶ

歴史

歴史教育にこそ、決して枯れることのない泉がある。   それはとりわけ忘却の時代において、無言の警告者として刹那的な栄華を超越し、 つねに過去を思いだすことによって、新しい未来をささやくのである。

  歴史から学ぶべきことは多い。 そこには学びも、教訓も、訓戒も、知恵もある。   だとすれば、ヒトラーは歴史から何を学んだのだろう。   私たちは、まさにナチスの行為を教訓として、その歴史を忘れてはならない。 ヒトラーの、そしてナチスの行為が、許されざるものであったことは、疑いようのない事実である。

「道徳」と「無関心」

教育

かれらは演劇や映画、また三文文学やエロ新聞で、毎日毎日、 おけから水を流すように民衆の中に毒がそそぎこまれるのを見るのだ。   そしてそれについて、 この民衆の大群の「道徳的内容」の少ないことや「国民的無関心さ」に驚いている。   あたかもインチキ映画やエロ新聞やその類似物が、 祖国の偉大さを認識させる基礎を与えているかのように、である。   個々の人間がそれ以前に受けた教育については、まったく度外視している。

  情報化社会にともなって、媒体は多様化した。 また、個々人の、情報収集能力にも格差が出始めている。   その中では、一部のメディアや、裏付けのない情報を盲信することは、避けなければならない。   自分自身で調べて、納得し、できればそれを発信し、議論すべきだ。 そうすることで、より核心へと近づくことができるだろう。   情報の中に毒があることは事実だろう。 しかし、教育の中にそれが無いとは限らない。

大衆の心理

群衆

大衆の心理は、すべて中途半端な軟弱なものに対しては、感受性がにぶいのだ。

  政治の世界を鑑みても、中途半端な軟弱者が支持されていないことは明らかだ。 それよりも大衆は、ハッキリとした物言いの、実直な人間を支持する。   ただ、国民も馬鹿ではない。   中核派に支援された山本太郎氏を、ヒトラーに祭り上げるようなことは決してしない。 中途半端な軟弱者が誰なのか、各々で判断できるのだ。

政治的指導者

宗教

政治的指導者には、自己の民族の宗教的な教義や制度が、つねに不可侵のものであらねばならない。 さもなければかれは政治家でなく、もしかれにその能力があるならば、宗教改革者になるべきである。

  日本国憲法20条には、「政教分離原則」が明記されている。 宗教的な教義や制度は、政治に不可侵で無くてはならない。   ただ、宗教団体が支持する政党に関しては、認められている。   一見矛盾したその点については、今後も議論が必要だろう。 また、ヒトラーのやり方は洗脳的・宗教的だ。

反抗心

泣く

わたしは母の墓前に立った日依頼、二度と泣いたことはなかった。 わたしは若いころ残忍な運命につかまれると、反抗心が燃えあがったのだ。

  時に人は、泣いてしまうことがある。 悔しくて、悲しくて、辛くて、寂しくて…。   泣いてもいい。だが、その涙は明日の糧にしよう。   人生には、避けられない運命というものが、存在する。 私たちには、残忍な運命から立ち直って、生きていく強さが必要なのだ。

まとめ

『わが闘争』に書かれている文章だけを取り出すと、示唆に富んだものもある。 しかし、残忍な行為と悲惨な歴史を創りだしたナチスの行為を、正当化する文章はどこにもない。   歴史を無視してはいけない。 いかにそれが目を覆いたくなるものだとしても、教訓を胸に刻んで、決して繰り返してはならないのだ。   スポンサーリンク

コジゲン一言メモ

プロパガンダとは、政治的な意味合いの強い、宣伝行為のことだよ! 特定の思想に誘導する行為なんだ!

参考

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